アンサーソン

おひとついかが

何者

いつだったか薄らぼんやり観てたTV番組で、体格のいい女の人が

「私、見た目がこんなだから自力で結婚するのは難しいと思っていて、でも結婚は絶対にしたいと思っていたし、20代前半だったらまだ戦えるかもと思ったんで、二十歳になってすぐ結婚相談所に入会したら結婚できました!」

という主旨の話をしていた。

これは流石に極端な例かなとは思うし、22〜23くらいまでは相談所を頼らず自力で頑張っていたとしても今とは別の嬉しい結果が出たかもよ、と思わないでもないのだけれど、二十歳くらいで自分の市場価値をここまでしっかり把握してるのって凄いな、頭のいい人なんだろうなと思ったんだ。

 

私は謙遜でもなんでもなく本当にあまり物事を考えずに生きてきてしまって、考えずに生きてきていたのに「自分は物事をしっかり考えているほうである」という錯覚をしたままの痛い大人になってしまった。大人になって暫く経ってから「世の中には想像を絶するくらい頭のいい人が物凄く沢山いて、私は自分で思っていたよりも遙かに物事を知らないし考えていないし考えられない」ということに気付いてショックを受けたと同時に、奢っていたときの自分をとても恥ずかしく思った。今でも恥ずかしい。バカなのにバカではないフリをしている人は恥ずかしい。

そうして「私、すげえダメじゃねえか…」と凹みながら見かけたのが冒頭の女の人で、本当に凄いな賢者だわ賢者がいたよと思ったんだ。

 

 

賢しくない私は、物心ついたときから少し前までの結構な長期間、自分が仕事や趣味(ないけど)においての「何者かである可能性」というのを漠然と漫然と信じて生きてきていた。

しかし、こうして何年、何十年か生きてみて「待て、自分は何者でもないのでは…?」ということに薄々気付き始め、それでも仄かに残る「何者かである可能性」を否定する自分を騙し騙し、まだ信じているフリをしここ数年を無理矢理に乗り切ってきたが、それでもやはり現実として「何者でもなかった自分」をまざまざと突きつけられている現在。

「何者でもないのならばもっと早くに『何者でもなかった!』と気付いて、何者でもないなりに幸せに暮らせるようにもう少しうまいこと努力できればよかったのに」

というすっぱ苦い思いが胸に去来するよ、夏。セミもどんどん死んでいくよ、夏。

 

もちろん先ほどから述べているように私は残念ながら頭が悪いほうの人間なので、たとえ10代くらいの早い段階で「私は何者でもないっぽい!」と野生の勘でキュピーンと気付いていたとしてもそれをどうこうできる能力がない可能性も高いため、早く気付いていたからといって人生が全て違ったものになったとも思えないのだけれども、そんなことに気付いたのに対処法を思いつけなかったらむしろ今よりももっと酷く苦しんでいたかもしれない

 

と思ったけれど、たぶん私のことなので一時は苦しむけれど、そうやって苦しむのに飽きて他のことを考えていたんだろうなと思えてきた。散漫だから。

 

よく暇つぶし程度に会話に出てきたり出てこなかったりする話題で「好きな年齢に戻れるとしたらいくつに戻りたい?」みたいなどうでもいい話があるじゃないですか。あれで中学生かなーとか高校生かなーとか、いっそ園児にとか色々回答を見聞きするけれど、みんな正気かと思う。

受験勉強とかもうイヤじゃん。辛いじゃん、受験。受験じゃなくても中間考査とか期末考査とか学校ってすぐテストするじゃん。超イヤじゃん。小テストくらいなら甘んじて受け入れるけれど、日がな一日中テストとかしんどいじゃん。2時間、3時間もぶっ続けで模試とかやって休憩のあとまた別のテスト2時間とか狂気の沙汰だよね。二度とゴメンだわ!

学校にもう一度ちゃんと通って勉強をやり直したいって気持ちがあるっていうのもわかるんだよ。でもさ、自分は自分でしょ。基本の性格ってなかなか変わらないでしょ。たぶん戻ったら戻ったで、やっぱり同じように怠けると思うんだよねーというか怠けると確信しているんだ私は。少なくとも私は怠けるね。他の皆さんは頑張るかもしれないけど私は怠けるよ全力で。下手したら現役時代より怠けるだろうね。

勉強以外のことにしたって「社会に出るまで何も辛い思いなんてしませんでした」なんて人、そんなにいるのかなあと思うんだよ。確かに社会に出てから辛いこともあったけど、社会に出てから辛いことと児童や生徒や学生だったときに辛いことって種類が違うだけでたぶん辛さの程度ってそんなに変わらないんじゃないかと思うんだ。

私は高校生くらい〜社会に出て3年くらいは物凄く大変だったんで(長くなるから割愛するけど親が離婚したり毒化したり私が怪我したり借金返済したり空き巣が入ったりして人生の密度がその時期だけ異常に濃かった。今思い返してもあんな逆境をよく乗り切ったと思う)、あの時期をスルーできるなら戻ってもいいけどそうじゃないなら戻るとかまっぴらだぜ!と思っている。

 

だから早い段階で何者でもないことに気付いてしまっても、為す術もなく結局は同じ結果になったんじゃないのと思っている反面、私が冒頭の彼女のような賢者だったのならどうなっていたんだろうなあ、もっと世知辛い浮き世を上手に乗り切っていけたのかもという妄想に思いを馳せたりする。

 

私はバカなクセに気位は高いのでここに至るまでに物凄い葛藤があったのだよ。無駄な気位の高さは人生を踏み誤らせるね。でも今は大変だった時期があったなんて信じられないほど人生を凪いで過ごしているし(なにこれもう老後なのか)踏み誤ったことに気付いても人生はまだ続くので、それなりに頑張りマンモス(のりP語。今「のりP語」で思い出したけど、若かりし頃ののりPが「ごはんを食べるときに『いただきマンモス』って言ったら徳永英明さんが『食べ終わったら『ごちそうサマンサ』って言うといいよ』って教えてくれたんです〜」っていうほのぼの英明エピソードを話していたのをTVで観たっていうどうでもいい思い出。こういうどうでもいいことを思い出すのもなんだか老後っぽい)。長ぇな。