アンサーソン

おひとついかが

結婚式が好き

結婚式が大好きな女の子と結婚できるか? - 文人商売

読んだ。

 

唐突だが、私は結婚式や披露宴が好きだ。

披露宴はキラキラした甘いお菓子のようなイメージがある(個人の感想です)。

 

しかしながら自分のものは式も披露宴もやっていない。理由は面倒臭いからだ。面倒でお金がかかる割に「だからなに」感が強いからというのも理由のひとつだ。式・披露宴(以下「披露宴」は略、ひっくるめて「式」)だけでなく、結婚という行事にまつわる一般的に行われている色々の中で行っているもののほうが少ない。プロポーズもされていないし婚約指輪は貰っていないし結納もしていないし(結納はしないことも多いみたいだけれど)、結婚指輪も入籍して1年半ほど買わずにいた。同棲からの結婚だったので新居への引っ越しはなかったこともあり、私の中では日常の生活と地続きで、スケジュールに「呑み会」という予定が入っているのと同じ程度の小山…いや、ちょっとした岩があったくらいの印象で結婚という行事をこなしたため、「一生に一度の大イベント!」というキラキラした甘いお菓子(個人の感想です)ではなかった。尤もこれは私がもともと結婚を望んでいなかったせいもあると思われるけれども。

 

 

ところが私は結婚式や披露宴が好きなのだ。

たまに「ご祝儀ドロ!衣装代も美容院代もかかる!」という苦情があるのは理解している。知人は「結婚式なんてのは体のいいカツアゲ」と宣っていたし、確かに短期間に式だの披露宴だの二次会(パーティ)だのが立て続けにあると生活を圧迫する。私も数年前、4ヶ月間に3つ予定が入ったため経済的に逼迫しすぎて「ひょぉぉぉぅうう」と毎晩むせび泣いていたことがあり、経済的ストレスで胃はやられ、ご飯を食べると胃痙攣を起こすため病院で処方された胃痙攣止めを飲んでいても結婚式に向かうにつれてどんどんやつれていった(主にウィダーが私を支えてくれた。一つ目の結婚式前に胃痙攣はなんとか治まったので、披露宴で粗相をするような事態にはならずに済んだ)が、それでも結婚式が好きなのだ。

 

会場がきらびやかで、列席している老若男女がキレイに着飾っていて、自分も着飾ることができて、主役の知り合いや友達が「この先この人と一緒にいるって決めたよ!」とみんなに教えてくれる場で、ふわふわと浮かれた非日常感が漂って、キラキラした甘いお菓子のようだ。

 

↑ほら、ここ読んだら楽しそうじゃない?

 

「大して親しくない人の結婚式だからみんなイヤだと言うのかも」とも思ったけれど、私は大して親しくない人の結婚式でもやっぱり結構楽しみにしてしまうので、主役が誰かという問題ではないのかもしれない。むしろなんでみんなそんなにイヤなのだ?やっぱりお金かな。一回の食事で3万も5万も払ってたらもっといいもん食えんだろうが!っていうような。確かにもっといいもんが食える。

 

 

私の知人に結婚後半年足らずで離婚した者がいる。「友人」ではなく「知人」だ。彼女の式には招待されていたものの、色々あって「知り合いみんなで欠席」という、まあーなんというかそのー『色々』についてはもうねーあのー「察してください」と言うしかない事情のあった曰く付きの式だったのだけれど、半年も経たないうちに離婚したときみんな「やっぱりね」と思ったし「出なくてよかったね…」というのが欠席した知人同士の物凄く正直な共通した感想だった。

そういったイレギュラーな事情でもない限りやっぱり私は結婚式を楽しみにしてしまう。

ちなみに上記の半年離婚の彼女の式も「結婚するよ!来てね!」と聞かされた当初はみんなそれぞれ楽しみにしていたのだけれどね…。「おかしくないか?」と最初に気付いたのは私で、確かめようとして「さすがにそれはないでしょ笑」と止められたのを振り切って確認したら案の定、結果こぞって欠席という流れになったので、みんなで欠席のきっかけは私といえば私だった。そんなことあったらそりゃー疎遠になるよねというわけで現在は疎遠も疎遠。人生には色んなことがあるよね。

 

 

自分が主催するのは面倒だし主役になりたいとも思っていないからイヤなのだけれど、他人の結婚式に出るのは大好きだ。お金はなくなるけど楽しみなんだ。

あのドレスを着よう!とか、バッグはこれを靴はこれをショールはこれを合わせよう!と考えるのが楽しい。結婚式に向けて美容院を予約するのも心が躍る。そうか、私あれか

ただの洋服バカかこれ。

 

 

このブログにしては珍しく結論が出た。よかった。…よかった?か?

でも洋服バカの人は結婚式を割と楽しみにしているかもしれないよ!

 

 

読み返してみたらリンクのしっきーさんのブログ内容に全く言及していなかったので付け足しておくと、「身内だけの式」とか「二人だけで挙式」とか「フォトウェディングのみ」とか今は色々選択肢があるから、アメブロ女子とはてな女子の指向性の違いについては私にはよくわからんのだけれど、経済力と気力と彼女(ができたらその子)の好みとを勘案して話し合えばいいことじゃないかなと思う。

あとは「『挙式なしなんて許されるわけがない』という風潮の職場や職種」というものも世の中には確実に存在するので(上のほうの公務員とか古い体質の会社とかやたらアットホームを売りにして家族ぐるみのお付き合いをしている職場とか)、実際に挙式するかどうかの問題に直面したらそのへんの兼ね合いもあるから、今から考えても意味ないよとも思っている。学生結婚するならまた別だろうけれど。

いずれにせよやってみたら楽しかったということもあるし、さっきからしつこいけど私は他人の式が楽しみな洋服バカなので、私以外の他人はみんな挙式してくれたらいいなあと思っている。

 

 

 

余談だが、再来月に知人の結婚式へ夫婦で出席するにあたり先日招待状が来たのだけれど、会場が今まで経験したことがないほどデカイので既に戦々恐々としている。披露宴が400名(以上)規模、二次会が150名(以上)規模。顔が広い人だしそりゃあそれなりに大きな会場なのだろうなとは思っていたけれどそこまでとは…。

更に、着ようと思っていたBetsey Johnsonのパーティドレスが現時点で入らないのも個人的には心の修羅場。着たいよ、他のじゃイヤだよ!→じゃあ痩せなさいよ→痩せるの辛いよ!っていう。あのドレスは着られるのか果たして。がんばれ洋服バカ。

Most Valuable Player

これのタイトルを読んで

"好きな人に劣等感を感じてしまうのはどうすればいい?" - My Favorite, Addict and Rhetoric Lovers Only

 

ああすげえわかるわかる!だよね!劣等感持つよね!

私オットに劣等感ある!羨望と嫉妬がある!

と思ったら全然違った。

 

内容としては「色々とハイスペックな女の子に恋をしています」っていう話だったんで、私の思いとは全く異なる。

(リンクしてるけど言及ここまで。ファーさんごめんなさい)

 

愛してるとか好きだとか - アンサーソン

ここ↑で「オットが稼いでいるかどうか結構本気でどうでもいい」と言ったけれどそれは建前で、いやあの文脈としては嘘ではないのだけれど「私の劣等感を延々くすぐり続ける」という観点では気になっていると言い直したほうがいいかもしれないと思っている。ただしこれは収入のみの話ではなく、職場環境やら仕事内容やら人間関係やらぜんぶひっくるめてのことで、オットの収入や役職はその目安として常に私をジリジリさせていて、だから気になるといえば気になるのだよという話なのだ。

スタート時点では同等だったのに!と思ってしまっている。

私はこの数年間一体何をしていたんだろう、と思ってしまっている。

オットが転職したり昇格したりするたび、どんどん置いて行かれている気がする。

 

 

 

改めて冷静に今打った文言を見てみると、これ状況としておかしいよね。なんでオットと張り合っているのだろう…?所属する会社の業種だって職種だって違うのに。

以前からこの「オットに対する劣等感と羨望と嫉妬」を私は持ち続けていて、あるときこの話をしたら知人に「平等でいたいんじゃない?」と言われた。しかし「平等でいたいか」と問われるとなんだか違う気がするのだ。確かに格差があるのはイヤだなあと思うのだけれど、それはオットの努力というか仕事への向き合い方の結果そうなったものであり、私の仕事面での怠け者っぷりがそうさせたのであり、平等でありたい、格差があるのはイヤだと心から願っているのなら私はもっと頑張ったのではないかなと思うのだ。

オットはエンジニア(PG)なのだけれど仕事が好きな人だ。仕事が好きというか、好きなことをずっとやっていきたくてそれを仕事にした人なので、遅く帰って来ても新しく興味をもった言語があったらそれが今の仕事に関係なくともいつまでもPCに向かっているし、その結果寝るのが明け方になるのも厭わないような人なのだ。そういう姿勢を見ていると、ああこの人は本当にプログラムをガリガリ書いているのが好きなんだなあと思うと同時に、私もどちらかというと「好きを仕事に」系の仕事をしているがこんなにまで仕事が好きなわけではないなあ、むしろ許されるのなら家でゴロゴロ寝ていたいなあと思ってしまっていたりするので余計に劣等感が刺激されてしまうのであった。

これは収入とか地位とか職場環境とかそういうものよりも、もっと根本的な「仕事に対する姿勢」への劣等感なのか…?過去に頑張れなかった自分を責めているのか…?

 

…うーん……?

 

ちょっと今は頭が働かないので、これについてはまた後日考えたい。

 

とりあえず、今日オットが会社のMVP賞だかなんだかを貰ってぐぬぬとしていてジリジリともしていて、おかしいのはわかるけれどなんでそんなふうになっているのか謎のまま今日は眠いのでおやすみなさい。

 

このモヤモヤした感じのわかる方がいたら教えていただけると幸いです。

いなかったらまたの機会に考えます。

Facebookが油断ならない

私の記憶が正しければ、ひと月かふた月前に「知り合いかも」の表示が少し変わったよね?表示というか、たぶん検索方法が変わったのかなと思っているのだけど。

 

私がFacebookで繋がっている人は、postが少なかったり(たぶんロクにログインしていないだけ)「いいね!」をつけなくてもコメントをつけなくても大して気にしない人だったり、基本的に「繋がっていなくても問題ないけどいるの気付いたら申請してみようかな」という程度の間柄の人たちと、あとはオットの仕事の後輩や同僚だけなので(基本的には会ったことのある人)Facebookのこと自体を忘れてさっぱりログインしていなくても私は特段問題なく生活している。Facebook、あってもいいけどなくても困らない、そういうスタンス。

こんな感じなので、もともとSNSに一生懸命でないことも手伝って私のFacebookでの繋がりは15人もいない。

 

繋がっている人の中には、繋がりが200人も300人もいる人もいるし、オットの後輩や同僚同士はだいたい繋がっているので、まったく知らない人を「知り合いだよね!」とFacebookに紹介されたりしていた。「いや確かに私の繋がりが5人繋がってるけどその人は知らない人だから」というような人を「知り合いだよね!」と元気に紹介されて、私の中でのFacebookは「早とちりでちょっとおバカかわいい」くらいの存在だった。いつでも知り合いじゃない人を「知り合いでしょ?でしょ?」と推してくるので、「違うから笑、知り合いじゃないから笑」と「知り合いかも」自体を大して見なくなっていった。

 

が、冒頭の話である。

「知り合いかも」の様子が変わった。

 

最初は姉の夫が「知り合いかも」の先頭に表示されたのが発端だった。

言い忘れたが、私は特に昔の知人に見つけて欲しいとか会社・取引先の人に見つけて欲しいという願望がまったくなく、むしろ「アカウントを持ってはいるけれど気付かないでいただきたい。私のあずかり知らぬところで元気に楽しくやっていて欲しい」と思っているため、ちょっとした小細工をしてそうそう知り合いには見つからないようにしている。それを踏まえて以下。

姉の夫が「知り合いかも」に表示されたとき「ああ見つかっちゃったか」と思った。

Facebook上で検索をかけられてページにたどり着かれたのかなと思ったのだ。

基本的には人畜無害な人だし(姉の夫に酷い言いようだが)私も殆どpostをしないので申請がきたら認証してもいいかなーくらいの気持ちでそのままにし、他の「知り合いかも」を見て息を呑んだ。

会社の人間をはじめ、昔の知り合いから一時期通っていた服屋の店員まで。

なななんすかこれ…

怖くなって片っ端からブロックしていった。

 

会社の人はまだわかる。会社のPCからうっかりFacebookにアクセスしたことがあったので(よい子は真似しないでね。私の所属する会社はシステム担当とかいないから基本なんでも見放題なんだ…)そこで「同じホストから繋がったからこの人たち知り合いだよね!」とFacebookに思われたのだろうと想像はついた。しかし、以前通っていた服屋の店員(しかも既に辞めて地元に帰り結婚しておられた。彼女のページを見に行ったのでわかった)はなぜ…と思ったが、更にもっと怖い2人がいた。

 

まず1人目。

一度合コンで会っただけの人。

合コン後何度かメールのやりとりをしたが、取り立てて面白くもなくおそらく向こうにもそう思われていたのだろう、そのまま会いもせずメールもしなくなって、名前を見た瞬間に「あれ?誰だこの人?……あ、れ?もしかして…??」と思い出すのに多少時間が必要だったくらいの相手。

 

そして2人目。

まず私のFacebook上では繋がっていない知人、仮に彼をAとする。Aは以前私の所属する会社に勤めていたが、4年ほど前に転職していった。転職してからは一度会ったきりで特別仲が良かったわけでもないので疎遠になっている。そのAが「知り合いかも」に表示されていた。Aには300人程度の繋がりがおり、その中には何人か私も会ったことのある人間がいた。数人で何度か呑んだこともある。その中でたった一人だけ、何度かデートした相手がいる。そのデートした彼だけをピックアップして「知り合いかも」に表示させてきた。

 

Facebook、油断ならねえ…!

 

なんで合コンで一度会っただけの相手が知り合いだとわかった!?

なんで何人か知り合いがいる中でデートしたことのある相手だけをピックアップした!?

こえーよFacebook!どういうことだよ!ていうかその機能めっちゃ迷惑だよ!いらねーよ!誰もが昔の知り合いと繋がりたいと思ってるわけじゃねーんだよ!いやそういう私みたいな人間が使って楽しめるサービスじゃないのは知ってるけどさ、探してもいない人間を勝手に捜し出そうとするなよ!本気でこえーよ!

 

どういうシステムでその相手を捜し出したのかはよくわからないし知りたくもないが(なんか怖いから)、小心者を無闇に恐れさせるのはやめていただきたいのだ即刻。あれ(「知り合いかも」)を表示させない設定をググったが生憎なかった。この先もびくびくしながら「知り合いかも」は逐一チェックしていこうと思っている。皆様におかれましても努々油断なされませぬよう。

愛してるとか好きだとか

これ読んだんだけど

 

23歳女子会で理想の結婚相手について話したら

 

自分が23歳のとき結婚願望がまったくなかったからというのはあるんだけど、相手の年収を重視してたかというとまったくそんなことなくて、純粋にその人が好きか嫌いかしかなかったんで、なんかまた「みんなすげえな!みんな先々(結婚)のことすげえ考えてるんだな!マジすげえな!」という感想がじりじりとやってきて(他にも地方銀行員って新卒だと年収250万しか稼げないの?マジで?銀行員でしょ?というのとか、それhideじゃなくhydeじゃないのとかも気になったけど)、如何に今まで自分が何も考えずに生きてきたのかを実感させられた。

 

ていうか私結婚するまでもずっと相手の年収とかあんまり気にしなかったなそういえば。結婚が先に見えてないからなのかなやっぱり。

 

ちなみに私のオットは付き合い始めたときややブラックの零細にいたため私と同程度の年収で(むしろちょっと下くらいと聞いていた)、転職と吸収とまた更なる転職で知らない間に年収が徐々に上がっていったらしい(が具体的にはよく知らない)といったところで、一方私は右肩下がりまくりの業界にいるため賞与額が面白いように下がっていて(面白くないけど)、それに伴って面白いように年収も下がっていて(面白くないけど)、つまんない仕事しかしてないのに年収下がるとかバカバカしいだろ!会社もクソだし!と転職を決意したものの、滞りまくってやる気なくして口あけてぼんやりしている(=何もしていない)というのが現状で、自分の収入上げたいとか自分が楽しい仕事したいとかのほうが問題として身近で、オットが稼いでるかどうかって結構本気でどうでもいいんだ。私に経済的に迷惑がかからない程度に稼いでくれていれば問題ない。万一オットが失業したら私も頑張るけど、そのときお前はもっとすげえ頑張れよと思っている。

 

付き合う相手にまで収入の如何を求めるのかあ…。そんな付き合い方は窮屈じゃないのかね…。いや確かに「働いてなくてヒモになりたいです」みたいな人だと自分の生活に直にダメージを与えてくるから困るけどさ。

 

上のリンクの23歳たちは、やっぱり専業主婦になりたいのかなあ。

飽くまでも私の話だけど、家事ってめんどくさくないか?私は「一日家にいて家事やってね」って言われたら凄くイヤなんだよな。仕事は面倒だし仕事も会社もクソだけど家事やってろって言われるより余程マシだなと思っていて、消去法で働いている部分が大きいから威張れたもんじゃないんだが、家事はお給料出ないけど会社で働いたらお給料出るよ!と思っちゃうんだよね(ハウスキーパーのお仕事してる人は別)。

 

 

そこで前に読んだこれ。

 

なんで夫の世話は妻がやって当然と思われなければならないのか問題 - カリントボンボン

 

オットも家事すべき、っていうのはもちろんなんだけど、専業主婦ってオットの生活能力を著しく低下させる原因になってないるのではないかなと個人的には思っているのね。絶対数としてはそこまで多くないと思うけれど、奥さんに「靴下〜」って言っちゃうような、本当に三歳児みたいな人もいるわけじゃない。でもその中で結婚する直前まで母親に向かって「靴下〜」な状態だった人ってたぶんほんの一握りで、ほとんどの人はちゃんと自分で靴下をタンスなり干してあるのから取るなりして履いてたわけでしょ。それが結婚してできなくなるのって気持ち悪 他にそれをやってくれる人、甘えさせてくれる人がいるからで、その瞬間は楽だし幸せかもしれないけど長い目でみたら不幸だと思うのね。

だってその人、その「甘えさせてくれる人」がいなくなったら何もできなくなるじゃない。病気でも怪我でも離婚でも鬼籍に入るんでも理由はなんでもいいよ、何日間も(かその先ずっと)その「甘えさせてくれる人」がいなくなったとき、自分の家なのにどこに何があるかよくわからないって不幸だよね。不幸以外の何者でもないよ。

靴下は極端な例だけど、洗濯でもいいよ。洗濯の仕方がちゃんとわからなくて色移りさせちゃうんでもいいよ。麻とかアセテートのシャツ縮めるんでもいいよ。できないのは不幸だと思うんだよね。

男の人に限らずだけれど、人間って頼る相手ができると頼っちゃうんだよ。自分のことができなくなるんだ。更に、できなくなることに何も感じなくなるんだよね。私の昔の知り合いにもそういう人がいた。彼女は考え方も行動も凄くしっかりした人だったんだけれど、とある小さなベンチャー企業に転職してから別人かと思うほどしっかりできなくなったんだ。そのベンチャーでは彼女が最年少で、しかも他のメンツは全員30代の役員で、要するに可愛がられたんだよね、小さい子に接するみたく。彼女が転職してちょっとしてから会ったとき驚いたんだ、私にまで甘えてくるから。そのうえ「1が来たら2になるから3が必要になる」みたいな日常的なこと(すみません具体例がなにも浮かばない…「ABC3人でお茶しに来てABが飲み物の注文をしてくれているからCは3人で座れる席を確保しておく」的な感じか?みんなやるよねそれくらいは普通に)がまったくできなくなっていて、「あのしっかりした彼女は一体どこへ…」と思ったんだよね。その後、そのベンチャーは結局会社を軌道に乗せられなくて解散したのだけれど、その後も彼女が元の「しっかりした彼女」を取り戻すことはなかった。そのベンチャーにいた頃よりは多少持ち直したけれど、どことなく頼りない感じはその後もずっと変わらなかった。頼れる存在は人をダメにするんだと思う、ある意味。

 

専業主婦側も同じことで、自分の稼ぎがゼロで夫が突然働けなくなったらどうするんだろうなーと思うんだ。これも病気でも怪我でも離婚でも鬼籍でも、景気のいいときならいざ知らず、若い人でも正社員での就活に苦労している昨今、社会人のブランクある人を好んで雇う会社ってそうそうないよ。何か就職に使える有資格者ならまだしも。専業主婦志望の人ってそういうの不安になったりしないのかな。

そのための保険とかそのための慰謝料って思うかもしれないけど、余程高額な保険にでも入っていない限り受取額なんてたかが知れている。長期入院や手術になったら保険じゃまかなえない額を請求される可能性も高い。入院中も生活は続く。

慰謝料も余程の理由がない限り、この先何もしなくても生きていけるだけ貰える可能性なんてほぼない。財産分与だってそう。せいぜい数百万でしょ。数百万じゃひとり暮らしでも数年で使い切ってしまう。十年も二十年もは生活していけないよ。

 

 

だからね、女の人は配偶者の収入なんか気にする前に自分の収入上げることを考えたらどうだろうって思ってるんだ私は。男の人も自分の世話をやって貰うんじゃなく、ちゃんとできたほうがいいと思うんだ。全部やれとは言わないよ。できる限りの分担でいいよ。お互いなるべくできといたほうが、きっとのちのち便利だよと思うんだ。全部できるに越したことないけど。

相手の収入に依存しっぱなしにせず、相手の家事能力に依存しっぱなしにせずに結婚できたら、その生活って快適だと思うんだよね。ストレスも溜まりづらいし、お互いに何かあってもお互いになんとかできると思えると不安も少ない。

勿論、相手が他界してしまって精神的に云々というのはもしかするとあるかもしれないけれど、そういう状況でも経済的になんとかできる、家事もそれなりになんとかできるって環境があれば、あとは悲しみに暮れていても基盤がしっかりしているから生きてはいけるよね、そういう考えはどうですかって思うんだけどどうよ。それでもみんな働きたくないかな。家事したくないかな。いや、うん、私も働きたくないし家事したくないけど働いたり家事できたほうが得じゃないかって思ってるよって話ね。

 

 

追記:精神的に肉体的に頑丈じゃない人はまた別ね。今現在元気に生きてるならそういう選択肢もあるよねっていう提案。

It's a small world

少し前に会社の人たちと呑んだのだけれど、そのときに「家でどんな話をするか」という話題になり、オットは基本的にうまいこと水を向けないと何も言わないほうなので「『おいしいね』とか『イマイチだね』とは話してます」と言ったら「感想?食べ物の感想なの!?」と驚かれた。

ご飯食べに行ったりしたら普通に感想言い合わない?美味しいとか自分は好みではないとかお前の好みの味ではないと思うが私は好きだとか。

だからむしろこちらが「えっ普通じゃないですか」と思って驚いたのだけれど、話を続けたらそういうことではなかった。

 

「会社の話とか仕事の話とかしないの?」

 

あーそっちか。しないんだよな私。だって会社の話とか仕事の話をしたら絶対愚痴になるのわかっているし、オットも疲れてんのに私の会社で何があってむかついたとか会社の人がアレであいつ使えないとか聞きたくないだろうし、何よりも私は愚痴を言い始めると増えるんだ、マイナスの気持ちが。それに人間関係とかその話をするにあたっての土台になる説明をしていかなきゃいけないのがクソめんどい。どちらかというとオットの疲労感を慮ってというより後者2つの「自分に返ってくる疲労感」がイヤで話さないようにしている点が大きい。前にもどっかで書いたなこれ。

 

「しないっすね」

「えーウチの奥さんなんか今パートしてるんだけどパート先の話しかしないよ?」

「ウチもフルタイムで働いてるけど職場の話ばっかだよ」

 

 

 

その話をしていてひとつ思い出したことがある。

私が高校を卒業して間もないときのことだ。

私の高校は一応進学校(女子校)で、一部の特殊な人を除いてほぼ全員が進学する。一応進学校だけどバカ高校なのに。この「一部の特殊な人」は、私の地元がクソ田舎なので「地元駅弁に受からなかったなら地元で就職しろ」と娘に宣うような親を持った、ある意味気の毒な子たちのことだ(ちなみに私は暗に母親からこの宣言をされていたのに気付かず、援助を受けられないなら自力でなんとかできる方法を考え家を出たクチだ。この話、あとで書くかもしれない。書かなかったらごめん)。彼女たちの選択肢は「地元駅弁」と「就職(公務員)」のみである。特殊な人の家庭事情によっては「地元駅弁と公務員以外にMARCH以上であれば受験可能」という子もいたがバカ高校なのでMARCHなんてムリという子が多く、成績のいい子を除いては必然的に選択肢が「地元駅弁」と「公務員」に二分される。

そういうおうちの子が私の身近にいた。仮にHとする。

 

ーーここからHが就職するまでの過程を説明したが、よく考えたらこの説明いらなかったわーと思ったけれど折角書いたので残しておくことにする。過程どうでもいいわという方は下の「過程ここまで」までスクロールしてください。ーー

 

高校はだいたいどこでもそうだと思うのだけれど、ご多分に漏れず私の通っていた高校でも2年次に「国立文系」「私立文系」「理系」でクラスが分かれた。女子校なので理系の人数が少なく、国立文系が3クラス(A〜C組)、私立文系が2クラス(D、E組)、理系が1クラスだ(3年次で国文が1クラス減り、私文が1クラス増える。成績を見て国→私への志望校変更が割とあるため)。私とHは理系クラス、F組だった。

Fは理系なので志望校がしっかり固まっている者が殆どを占め、迷いのある者はほぼ国文クラスへいく。そういう事情でFから就職者希望者が出ることはあまりないのだが、私の年は2人が公務員への進路変更を申し出た。その1人がHだった。話を聞いたときは「親からそう言われた」と言っていた。MARCHに行けるなら受験してもいい、と言われたとも言っていたが、彼女は自分で「そーれーはームーリー」と言った。私もそう思った。

 

なぜかは知らないが、私の高校から公務員試験を受けるというと大概受験するのは郵政だった(郵便局員が公務員だったと知らない世代ももうすぐ出てくるのだろうね…)。市職も県職も裁判所もあるじゃねえかと思うのだけれどなぜか郵政。Hも郵政の試験を受け「いやあれ面接酷かったわー、落ちるわー」と言っていたのになぜか受かり(よく覚えていないがおふざけギリギリの発言をしていた記憶)数ヵ月後に郵便局員になった。

 

ーー過程ここまでーー

 

就職したHは、よく職場の話をした。それは愚痴だけではなく「こんなことしたよー」という楽しげな話や「こんなお客さんが来たよ」というとぼけた話だったりもしたが、ある日私は思った。

「コイツ、職場の話しかしねーな」

 

正確には「つまんねーな」と思ったのが最初(酷いのは百も承知なので突っ込まずにいただけるとありがたい)。つまんねーなと思いはしたが、その原因がどこにあるかわからなかった。わからなかったので「つまんねーな」の原因を探り始め、行き着いた先が「(私にはよくわからない)職場の話しかしないからだ」と気付いたのだ。

そりゃあ初めて経験する職場で、初めて自分が社会人として接する社会人ばかりの環境ならば、生活のすべてがそれ一色になってしまっても仕方ないと思う。けれどHはそれ以外の話をしようと配慮できるほど大人ではなかったし、私もHのそれを容認できるほど大人ではなかったのだ。そして私は

「話の内容が一辺倒になってしまうのは怖い」

と思うようになった。今でもそうだ。

話がつまらないのが怖いのではない。話がつまらないなんて私に関しては昔も今もずっとそうだ。そんなことを思い悩んでいるのではない。ていうか思い悩んでいたらもっとエンタテイナーになれていたんだろうなあくっそー。

誰かと話すとき「こいつこの話しかしねーな」と思われるのが怖いのだ。イヤ違うか、外からの評価はどうでもいい。自分の世界が狭くなるのが怖いのだ。ひとつの世界でそのことしか考えなくなっていくことが怖いのだ。それと同時に、そのことに自分が気付かない可能性があることも怖いと思う。

 

だけどこれは飽くまでも私がこう考えているよというだけの話で、「他の人もこうあるべき!」と思っているわけではまったくない。これが良いとか悪いとかの話でも批判でもない。冒頭の奥さんたちの話だって「そんな奥さんの愚痴を優しく聞く夫」という微笑ましい惚気がそこにあって、そうやって幸せに生活を営んでいるのであれば特に「私、世界が狭いかも」なんて気に病む必要も全くない。ただし旦那さんが「ちょっと勘弁してくれ」と言うのであれば少し他のことに目を向けてもいいかもしれないよねーくらいのもんだ。

 

 

 

全く関係ないんだけ凄い前に「ブレイク寸前アーティストランキング」みたいなランキングで何年か連続して1位を取っていた某ミュージシャンが(この前提の時点でおかしい)役者としてたったいま紹介されていて、役者として活動していたことに驚いているのか、それともまだ活動していたことそのものに驚いているのかわからなくなりながら締めたいと思う。締まらねえ。

叫び

お久しブリーフ(ゲッツ)。(死語)

 

下書きにぼそぼそ書きためていた分はあるのだが、結論が出ないうえに(というか私のブログの内容で結論の出ているものなどほぼない)とりとめもない感じでどれもどんどん尻すぼみになっているので、それらは考えがもう少しまとまったら載っけるかもしれない。載っけないかもしれない。(最近は帰宅も遅く、アウトプットする気が起きないながらも「折角思いついたから書いておいてみよう」という貧乏根性で仕事の合間やら休憩時間にちょこまか書いていたら自由詩みたくなっていた。最新のものは「スポーツ 同調圧力 人格形成」の3つだけしか書かれていなかったので自由詩というよりタダのメモ*1

 

 

これをたった今読んだ。

しかし結局エレガンスは手に入らない。 - 悩みは特にありません。

 

私は放っておくとどんどん話が長くなる方なので(前にも言ったかもしれないが、お陰で夏休み・冬休みの読書感想文が得意だった←トウホグ出身なので夏休みも冬休みも20日くらいあり、小・中・高いずれの休みにも読書感想文が課題になっていた。勿論他の課題も色々と出るが、それらは最終日に半泣きで夜中までやっているタイプ)寺地さん(id:haruna0109)の文章はいつもコンパクトにまとまっていて凄いなーと思っている。ホッテントリ入りしていることも多いブログなので読んだことある方もたくさんいると思うけれど、読んだことない方は面白いので是非。文章にスピード感がある。

 

 

 

心から驚いて叫んだことはあるだろうか。

私は文章でこそ話が長いが、基本的にはそこまで喋らないほうなので、面倒なときはとりあえず話を振ってしまってあとは適当に相槌を打ちながら聞いているということが多い(聞いていないことも多い)。普段からそこまで声を出していないせいなのかそれとは関係ないのかわからないが、日常でちょっと驚いたくらいのときは「声が出ない」か「うわっ」と小さく驚く程度だ。

 

一昨年だったと思う。驚いて叫んだ。

予想しなかったところで虫(割とデカイ)がこっちに向かって飛んできたのだ。

「ぅぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

(注・夜中。22時半くらい)

腹の底からオッサンの怒号のような声が出た。

 

 

余談だが、この「虫」とさりげない書き方をしているのは黒くて平べったくてやたら動きの速いあいつのことだ。私は虫がそこまで苦手なほうではないが(カマキリあたりなら迷い込んできたのを捕まえて外に逃がしてやるくらい普通にできる)、あいつとカマドウマ、てめーらはダメだ。(あとコオロギもよく見ると実はちょっとキモイ)

あいつが出ないよう細心の注意を払って生活しているものの、どこからか侵入してくるようで年に一度くらいは遭遇してしまう。遭遇するのは「あいつがいなくなるスプレー」を玄関やベランダ、窓枠に吹きかけるのをサボってしまっているときなので、侵入が十中八九「開けたとき」なのは予想がついている。今年はしくじらないぞ…!

 

 

そこで私は理解した。

本当に驚いたとき、「キャー」などという可愛らしい声は出ない。

やっぱり叫び声はキャーでしょうか。 

 寺地さん、驚いたとき「キャー」は出なかったよ。私も「キャー」という叫び声をあげるような人間性を持って生まれたかったけれど、ムリだったみたいだよ。あれ?部屋の中にオッサンがいる?と思うくらいの声で、私の中のオッサンが荒ぶったよ。

 

数日前にどこかの校長が女性教員の入ったトイレを盗撮した際、女性教員が気付いて叫び声をあげたところ職員室にいた他の教員がこぞってトイレへ向かったという事件があって、それを「スッキリ!」で再現VTRにしていたのだが(朝は「スッキリ!」派です)、そのときの「叫び声」はVTRでも「キャー」だったし、たぶん実際にも「キャー」だったんだろうなーと思うと……なんだろう、この敗北感は……。

 

あまり踏む人いない気がするけど一応そのニュース見つけたのでリンクしておく。

(1/2) 「小学校トイレ盗撮」犯人は校長先生だった!女子教員を隣の個室からスマホ撮影 : J-CASTテレビウォッチ

ニュース検索したら沢山出てきたけれど、これの内容が「スッキリ!」の内容まんまだったのでこちらで。

*1:疲れすぎと暑さで寝付けなかった夜にふと思いついて「時間できたらこのことブログに書こう」と思って要点だけ書いておいたんだけれど、数日経って要点を見たら何を書きたかったのかさっぱり思い出せなくなっていた。なんとなく予想できなくもないが「思い出す」感じではまったくなくて、「推理する」みたいになってしまっているのでもう多分思い出せないと思う

一目千両

普段私とはほぼ接点がなくいつも無表情でいる人が他の人と話していて笑顔を見せたとき、その笑い方がとても柔らかくて、とてもとても柔らかくて、ああこの人こんなに柔らかく笑うんだと思って動揺した。

 

私は男女問わず他人によく見とれるけれど一目惚れの経験はない。造形の好悪が人間としてのそれに繋がりづらいほうなのだが(繋がりづらい、と表現したのは生理的にどうしても苦手な面構えというのがあって、その面構えの人がどんなにいい人であったとしても受け入れられずに距離を置いてしまう場合があるから。この苦手な面構えをイケメンにカテゴライズする人もいるので、他人にこの話はあまりしない)今回の動揺には衝撃的なときめきがあり、この感じを初見で体験したらそれは一目惚れということになるのかもしれないと思った。

 

ギャップ萌えというものが世の中にはあるという。私にはこの萌えもなかったのだけれど、ないと思っていたのだけれど、その「接点のない人」は少しキツ目の顔をしているので、その笑顔が柔らかければそれはギャップということになるのかもしれないなとも思った。

 

接点がないのでその人のことは顔と名前くらいしか知らないし話したこともないし、どんな性格なのかも知らないし興味もないのだけれど、あの柔らかな笑顔をもう一度見ることはできないだろうかと考えている。毎日顔を見られるわけでもないうえ、2年程の間で一度しか笑顔を見られていないという状況下で次の機会が巡ってくるとはそうそう考えられないのだが、なんとかならないものだろうか。

 

 

「一目千両」という昔話がある。一目惚れの話、というと語弊がある気がするが、一目惚れの話ではないと言われるといやそんなことないよという感じの内容だ。話の終わりの感じからいって落語がベースになっているのだと思うのだけれど(もしくは地域で伝承されてきた話をベースに落語ができ、それが昔話として再形成されたか)、興味持たれた方がいたら、すぐにあらすじが引っかかってくるので各々でググってみて欲しい。因みに今ググってみたら私が記憶していた「一目千両」とは少しだけ話が違っていた。何か他の話と混同したのかもしれない。

話を戻す。「一目千両」は「一目見るだけで千両の支払い」という謎のものを見るためお金を貯めて京へ出掛けていく男の話で、千両が今現在だと如何ほどの価格と同等になるのかわからないけれど、でも正直千円くらい払ってでもあの柔らかい笑顔が見たいと思っている。いや千両が千円程度でなかろうことは私でも理解できている。しかしながら、基本的に吝嗇な私が「ただ一瞬見るだけで千円」を支払ってもいいと思うというのは相当であるな、と自分で思っているということだ。

 

ともするとそのことばかりを考えているので、暫くは頭から離れないのだろうなと思う。もう見られないのならば考えないようになれたほうが楽なのだけれど、そういう切り替えが上手にできないのだ。仕方ないので、次はいくらまでなら払えるかに重点を置いて考えてみようと思う。業が深い。