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アンサーソン

おひとついかが

書いてみた

〜〜〜〈追記〉〜〜〜

説明が足りなくて、いつもこのどうでもいいブログを見に来てくれているみなさんのうち、事情をまったく知らない方に不親切だったかなと思ったので追記。

「みなさん短編小説を書いてみませんか」という提案をid:zeromoon0さんというパンダの方がやっていて、それに乗っかって書いてみた次第。詳細は以下のリンク参照のこと。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

タイトルは特になし。

5000文字ギリギリになったんだが…ここまでギリギリで書いてる人たぶんいないよなあ、と思ったり。

読む方は時間のあるときにどうぞ。つまんなかったらごめんなさい。

 


【第0回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - Novel Cluster 's on the Star!

 

 

目の覚めるような赤。

女優帽に口紅と脛までの丈のフレアワンピース、そしてエナメルのピンヒール。

外の日差しのまぶしさと女の肌の白さ、女の身体の薄さも手伝ってか、その4つの赤だけがひらひらと舞っているようだと渡辺は思った。よく見ると手の先にも小さな同じ赤が並んでいる。真夏には重すぎるほどの鮮やかな赤だ。

 

 

昼下がりの住宅街に照りつける強い日差しに耐えきれず日陰に入っても、熱をもった空気が渡辺に涼むことを許さない。緩めていたネクタイを外して鞄に突っ込み、既に拭った汗を吸って湿っているタオルハンカチで止めどなく流れる汗を拭うが、拭えているのか拭えていないのか不快感はまとわりついたままだ。

「暑い

暑い、と口に出すと更に暑くなりそうで言わぬよう我慢していた。我慢していたがつい口をついて出たそのとき、狭い一方通行の路地の向こうに赤が見えたのだ。その一瞬、暑さを忘れてひらひら舞う赤に見とれた。

 

ふいに女がこちらを向いた。凝視しすぎたようだと渡辺が些か焦って不自然に視線を逸らすと、視界の端で女がこちらに向かってくるのがわかった。遠目には20代前半くらいかと思っていたが、近くで見ると20代後半くらいか。口紅の赤に負けない目鼻立ちのはっきりした美人だった。

「暑いですね。外回りのお仕事ですか?」

意外なほど気さくに話しかけてくる。顔の印象よりやや低い声はハスキーに響いた。

なんだこの女は。どういうつもりだ?

つい先刻まで女に不躾な視線を投げかけていたことも忘れ、渡辺は思った。新興宗教や自己啓発セミナーの勧誘でもしようというのだろうか。新手の詐欺か何かか。

「何らかの方法で金品を奪われる」といういくつかの考えが頭を巡ったが、渡辺より20歳は若いであろう女に話しかけられた嬉しさと好奇心のほうが勝った。

渡辺は香料を扱う小さなメーカーに勤めている。社内では、渡辺に仕事以外のことを話しかけてくる若い社員など皆無だ。同期の社員には社内の若い連中と仕事帰りに呑みに行くことの多い者もいるが、渡辺は下戸なので、そういう席はほぼ毎回遠慮している。接待で酒を呑むこともあるが、呑んでいる振りをしながら下手くそな営業トークで場を盛り上げる努力をするので精一杯というような有様で、営業成績もロクに上がらぬため50を過ぎた今現在も係長止まりだ。おそらくこの先も昇級は見込めないだろう。そんなうだつの上がらなさと渡辺の元来のイマイチな社交性が影響し、若い連中に慕われていないであろうことも渡辺は認識していた。

 

「営業で、社に戻るところなんですがこう暑いと駅までの道も遠いですね」 

喋り出しの声がかすれた。緊張しているわけではない。緊張していると思われただろうかと何か言い訳をしたくなる。

「ここからだと駅まで距離がありますからね。このあたりはお店もないし、こんな炎天下に帽子もないと熱中症で倒れてしまいますよ」

炎天下で暑さの話をしているのに、女は汗ひとつかかずに涼しい顔をしている。この女の身体は一体どうなっているのだろう。

渡辺がそんなことを考えていると、薄く微笑んだまま女が言った。

「私の家、すぐそこなんで涼んで行かれません?」 

 

美人局。

まず浮かんだのはそれだった。

「美人局なんかじゃありませんよ」

渡辺の心の中を読んだようにそう言って、女は相変わらず薄く微笑んでいる。

「いや、」

遠慮しますと言いかけた渡辺の左肩に白い手が置かれ、その手に吸いつくように女の顔が近づく。左の耳に女の吐息が当たった。

「こんなところで無粋なことは言わないで」

甘い花の香りがした。ローズだと渡辺は思った。やはり真夏には重い濃厚な香りだ。

耳から唇を離した女は渡辺の顔を見ると今度は艶然と微笑んでみせ、「さあ」とそのまま渡辺の左手を引いて歩き出す。茹で上がっている渡辺の手を掴む女の手は真っ赤な爪とは裏腹に、冷たく心地よかった。

 

 

シャワーを浴び、白いバスローブを羽織ってリビングのソファに座っている。キッチンには使い込まれ手入れされている鍋や調理器具が、決して広くはないリビングから見えるベランダにはハーブや野菜のプランターがいくつか並び、緑の葉が日差しを浴びて輝いていた。

渡辺は戸惑っている。

 

声をかけられた路地からほど近いクリーム色のマンションの一室。部屋に入る直前まで、渡辺は宗教か詐欺かやはり美人局かと疑っていたが、思いのほか生活感のあるその部屋と、女が「マキです」と自ら名乗ったこと、渡辺の手を引いて歩く様がまるで子供が父親を引っ張っていくときのような無邪気さに思え、渡辺の娘がまだ園児だった頃のことを思い出したりもし、これは本当に詐欺でもなんでもないのではないかと思い始めていた。渡辺の戸惑いは、マキが見せたその無邪気さと、渡辺の手を取る直前にマキが放った言葉とのギャップにある。

 

そういうつもり、なのだろうか。

親と子ほどの年齢差がある。しかし、お互いに成人した大人だ。女が自宅に男を招き入れる意味を考えると、やはり「そういうつもり」だと考えるのが一般的なような気がする。

もしかして、と渡辺は思った。

世間には、セックス依存症という精神の症状があるそうだ。アメリカの有名なプロゴルファーもそうだとどこかで聞いた。マキももしやそうなのではなかろうか。

 

今度は渡辺自身のことに思いを巡らせる。

妻とはもう何年もしていない。したい気持ちはやまやまだが、娘が生まれてしばらく経つと拒否されるようになった。その後何度か誘ったが応じてはくれず、結局もう十何年もセックスレスというやつだ。こちらももう妻を抱く気にはならなかった。けれど、今ここでマキとできるのなら、一度といわず何度でもできる気がした。

 

「ビールでいいですか?」

マキに声をかけられ渡辺は我に返った。股間がむずがゆい。

「下戸なんです

「じゃあお茶ね」

マキが氷の入ったグラスとお茶の入ったピッチャーをトレイに載せソファの前のテーブルに置いて、トポトポとグラスに黄緑がかった薄茶色の液体を注ぐ。

どうぞ、と言われ、いただきます、と口をつけると、まずミントの香り、そして甘酸っぱい果物のような香りが口の中に広がり、最後に少しの苦みと甘みが押し寄せる。渡辺は麦茶とばかり思い込んでいたので少し面食らった。

 

香料メーカーに勤める渡辺ではあるが、調香師ではないのでそこまで正確に香りを嗅ぎ分けられるわけではない。ただ、香りを仕事にしているくらいだから一般人よりは香りに敏感だと自負している。しかし果物のような香りが一体なんの香りなのかわからなかった。嗅いだことのある、懐かしい香り。子供の頃から嗅いでいる香りだが思い出せない。

 

「冷たいからそこまで香りは強くないと思うんだけれど、味、大丈夫?」

「大丈夫です、美味しいです」

正直なところ、渡辺はこのハーブティというやつがあまり好きではない。香りばかり強くて味があまりないのが苦手だ。例に漏れずマキが淹れたハーブティも好みではなかったが、マキに気分を害させず行為まで持ち込みたいという邪な気持ちで言った。甘酸っぱい香りがなんなのか問おうとすると、マキが立ち上がった。

「お茶を飲みながら少し待っててね」

そう言ってリビングを出て行く。バスルームへ向かうドアだ。

はい、と返事をしてから、マキから敬語がすっかり抜けており、渡辺だけが敬語を使っていることに気付く。これだから営業職は、と苦笑しながらこのあとのことに思いを馳せていると、無意識にグラスのハーブティを飲み干しており、思わずまた苦笑する。期待で味がわからなくなっているようだ。ピッチャーからグラスにハーブティを注ぎ、妄想しながら飲み、また注ぐを繰り返していたらピッチャーが空になってしまった。マキはまだ戻らないのだろうか。

カチャリとリビングのドアを開く音がし、振り返ると髪が濡れたままのマキがリビングは入ってきた。全裸だ。身体は想像より女性らしいラインを描いており、思わず「いいね」と口から出そうになる。

「全部飲んでくれたのね、よかった」

また薄く微笑んで、ピッチャーを持ったマキが言う。

「ビールじゃダメだなんて言うから不安だったの」

ピッチャーを置いて裸のまま渡辺の膝に座り、渡辺のバスローブのベルトをほどく。

 

不安だったの?

フアンだったの?

フアンダッタノ?

 

意味はわからないまま、マキの肌に触れようと手を伸ばそうとしたとき、マキが渡辺に対面で脚を開き、覆い被さるようにしてその手を取って胸に触れさせる。

「最後だからサービス」

 

最後だから?

サイゴだから?

サイゴダカラ?

 

また意味がわからない。マキは先ほどのように渡辺の耳元に唇を近づけて言った。

「どう?わかる?」

わかる?いや、わからない。全くわからない。

手の感覚がなくなっている。触れているはずなのに、触れている感覚がまるでない。

思わずマキの手をふりほどこうとしてから、それもできないことに気付いた。驚いて声を出そうとするが大声を出すことすらままならず、「うう」といううめき声だけが口から漏れる。

マキが嬉しそうに目を見開いて満面の笑みを浮かべる。

「よかった!ちゃんと効いてる!もうわからないんでしょう?」

首を動かすことはできないが、マキが跳ねるように立ち上がってバスルームに続くドアの隣にあるドアの前に立ったのがわかった。

「ねえ、見て見て!あ、そこからじゃ見えないよね」

マキがソファに戻って渡辺の頭を両手で掴み横を向かせる。ドアが視界の正面に見えた。

なんだこの女は。どういうつもりだ?

渡辺は炎天下で頭に浮かんでいた疑問を再び頭に浮かべた。やはり手をふりほどいて帰社すべきだった。こんな女に関わるべきではなかった。なんとかしなければと気は焦るが指一本動かない。辛うじて動くのはまぶただけだ。どうしたらいいのだ。渡辺はうう、とまたうめき声を上げた。

「じゃーん」

マキの手でドアが開け放たれる。狭い部屋があった。おそらくウォークインクローゼットなのだろう。中には全裸の男が4人、真っ白な顔で脇の下から胸をベルトのようなもので巻かれ、天井から吊されていた。左から一人目は20代くらいの髪がやや長めの男、二人目は30代くらいの短髪の男、三人目は40代くらい、四人目は60代くらい。

「シュー

渡辺の声はもう、うめき声ともつかない、気道から空気の抜ける音にしかならなかった。

なんだこれは。なんなんだ…!

 

「くるぶしのところに穴を開けて血抜きをするのね。首のところで吊したほうが楽なんだけど、首で吊すと首が伸びちゃうの。知ってる?えーと、名前聞くの忘れちゃったね」

マキは身振り手振りで説明すると、今度はソファの脇に置いてあった渡辺の鞄から財布を取り出し、中の免許証を見る。

………渡辺さん。覚えた。渡辺さんね」

渡辺のほうを見てにっこりと微笑んだマキが言う。

「左から、佐伯くん24歳、田村さん32歳、畑中さん46歳、笹本さん66歳。どう?素敵でしょ」

渡辺さんは、ともう一度免許証を確認する。

「渡辺さんは52歳ね。これで20代から60代まで揃うの」

つまり俺はこの女のコレクションに加えられるということか、と渡辺は思った。身体は尚も動かない。俺が何をしたっていうんだ。真面目に生きてきたのにどうしてこんな目に遭うんだ。嫌だ、死にたくない!そう思うと、渡辺の目から涙が溢れた。

「大丈夫、ちゃんと綺麗に残してあげる。苦しくもないの。4人とも苦しんだりしなかった。眠るように意識を失うだけ」

言いながらマキが渡辺の目にタオルのようなものを当て涙を拭う。だんだんと目にも力が入らなくなってきているようだ。渡辺のまぶたが重くなってきている。もう泣くこともできない。

「ハーブティでも大丈夫だとわかったから、これからは子供も大丈夫そうね。渡辺さん、どうもありがとう」 

 

マキの言うとおり、まぶたと頭はどんどん重くなっていくが苦しくはない。意識がぼんやりとしていくだけだ。まぶたの裏に炎天下で見たマキが赤く浮かぶ。

マキが嬉しさを堪えきれぬようにクスクスと笑い出した。

「子供より7080代のおじいちゃんを先にしてもいいかな」

 

渡辺は気になっていたハーブティの香りを追いかけていた。

そうだ、これはりんごだ。

おぼろげになっていく意識の奥底で、渡辺は香りの正体を捕まえた。