多忙を極める
仕事が忙しい。
「〇〇を〇日でやって」という仕事が来て、締め切りが金曜の午前中なのだが
私が仕事で具体的に何をしているのかを知らない人にも「それできるの?」と言われるボリューム。
終わる気がしない。
私は作業マシーンだと言い聞かせて少しおかしなところがあったとしても私は知らないよ
と思いながら無心で進めているが
全然終わる気がしない。
これ間に合わなかったらどうなるんだろう…。
仕事がこんなに忙しいのが久々なので肉体的にも精神的にも参っている、というような心と身体のバランスのせいもあるのかもしれないけれど、少し前からボコボコに凹む考えに心を囚われていて、そんな中での作業マシーンとしての仕事なので仕事中も自ずとそのことばかりを考えてしまい、更に凹んでいくという悪循環。なんと状況の悪いことか。
仕事が忙しくとも、その仕事がどんなにつまらなくとも、精神的に元気だと乗り越えられるというものだが、今回ばかりはその「精神的に元気」でいられないため戦況は厳しい。
いずれにせよ仕事は終わらせねばならぬし(例えどんなに乱暴なやっつけだったとしても)金曜の午前中が来てしまえばそのときどのような状況だったとしても打ち止めにせねばならないのでおいおい必ず終了するものではあるが、状況が厳しすぎて泣ける。
頑張れ俺。
誰も応援してくれないけど頑張れ俺。
シャワー浴びて寝よう…。
Lies
注・久々に長めです(しかも本題じゃないほうで)。
嘘を吐かれることが好きな人はいないと思う。
大概の人は嘘を吐かれたと知ったら驚いたりショックだったり「はーん、そういう嘘を吐く人なのねー、ほうほうそうですか、ほーん」とその嘘を吐いた相手を軽蔑したりする。最後の「はーん」は私が嘘吐かれたときの大抵の感想。大人になっても「息をするように嘘を吐く人」というのは割に沢山いて、特に私は「嘘を吐いたら絶対にバレてはならない」と「嘘を吐くとあとあと面倒なことが多いから基本的に嘘は吐きたくない」と思いながら生きているので、極力嘘は吐かないようにしている。もちろん、嘘を吐いた相手を傷つけるかもしれないと思うのも理由のひとつ。
私が特に苦手なのは「自分を大きく見せる嘘」で、当然そんなの嫌いな人の方が多いと思うのだが、例えば……例えばというかもうこれは実際にあったことなのだが、ほぼ初対面の男性が「俺いま教習所通ってるんだ」という。聞けば、バイクの免許を取得するのだという。
私の人生はなぜかバイク乗りに接する機会が結構多く(男女問わず)、これまでも中型免許(〜400cc)だけでなく限定解除(大型。401cc〜)の免許を取って大型に乗っている人、中免を持っていて限定解除を取ろうとしている人(そして何度か落ちている人)など色々いたので、私自身は普通自動車免許すら所持しておらず、バイクの免許もないのにバイク周辺の事情にはそれなりに詳しい。カワサキのバイクを見ると「カワサキだ」と毎度思うし(カワサキのバイクは特徴的)、路上にバイクが停まっていると「あれはどこのバイクかな」とか「あれは何ccくらいのエンジンかな」と見てしまう。
そんな感じなので、バイクの免許を取ろうとしているという話を聞くと「わーそうなんだ!私も少し話せるよ!(何も持ってないけど!)」と少しテンションが上がるし、何よりも話がわかって嬉しいので、件の「教習所に通っている男性」にも話を聞いた。聞けば「現在中免を持っていて限定解除を取ろうとしている」と言う。なるほどそうなのかと思い、同じ状況で何度か限定解除の試験に落ちている人が言っていた「試験に使うバイクには砂袋が付いている」(バイクの試験では「バイクを起こす」という実技があり、普通に持ち上げようとすると持ち上がるわけがないのでてこの原理を使ってバイクを起こすのだが、練習で何事もなく成功できるようになって「よしバッチリだ」と試験に赴くと途端に起こせなくなるので、この実技で失敗した人たちの間では「実技用のバイクには砂袋が詰まっている」とまことしやかに囁かれているという話←この話は通じる人と通じない人がいる)という話や、白バイの人たちはバイク乗りとしては超絶テクニックの持ち主で、自分たちと同じようにバイクが好きな人たちなので、速度制限なんかでちょっと停められたときにも「ここでスピード出しちゃうのわかるけどねー」と気持ちをわかってくれたり(わかってくれても減点はされる)してバイク乗りは大概みんな白バイの人が好きですよねという話をしたりしたのだが、どうも反応が鈍くて「あー!そうそう!そうなんだよ!」というような、バイク乗りあるあるのいつものやりとりができなくて「おや?」と思っていた。
一方で、「Vespaにいま乗ってるんだけど、実はVespaって50cc以上あるから中免じゃないと乗れないんだよね」とか「Vespaはガソリンに混ぜ物しないといけないんだよね」という話を聞かされ、そんなこと全く知らなかったので(というか今まで会ったバイク乗りの感覚だと中免持ってるのにVespaにしか乗らないの勿体無いと思ってしまう)またバイクの知識が増えたなーとそれなりにありがたく思ってその場は終了。
それからふた月ほど経ちまたその人と話す機会があったとき、「そういえばバイクの免許取れたんですか?」と聞いたら「本格的に実技に入ったところ」と言う。ていうか今まで座学だったのかよ。
そのまま話しているとどうも話が食い違うので、「限定解除取るんですよね?」と確認したら、「中免取ってから考える」と。えっ、待って意味わかんないし、中免持っててVespa乗ってるっつってたじゃん。「あれ?中免持ってていま限定解除取ろうとしてるんでは…?」と聞いたら「違うよー、いま中免取ろうとしてるんだよ」と返してきた。
あーなるほどこれまでの話が通じなかった理由がわかった、と思った。
その嘘一体なんなの?「俺Vespa乗ってんだよね」って言ってたじゃん。理想?理想を語ったの?理想の俺像をそのまま私に話したの?
凄く些細なことなのだが、こういう嘘ってバカバカしいし「いやこの前一生懸命バイク乗りあるあるを話した私の労力を返せよ」と思ったし、ああこの人そういう嘘を吐くタイプなんだなと思って、そこからその人とはたまにメールするくらいになって疎遠になり、結局フェイドアウトした。そんなほんの少しだけ自分を大きく見せたところでなんのメリットもないぞ、と思い、未だにこの手の嘘が私の中で最も苦手な嘘だし、こういう「すぐバレる(というか自分で嘘吐いたこと忘れて自分でバラす)嘘」を吐く人を軽蔑している。嘘を吐くなら徹底しろ。
でもこういう感じで嘘を吐かれることは意外と多いよね…。
長々書いてきたが、実は上が本題ではない。
ここからが本題である。
嘘を吐かれた。昨日のことである。でも全然嫌じゃなかった。
嘘を吐かれたのに嫌な気持ちにならないってそうないことじゃないのかと思って自分でも少し驚いている。
上で労力を使いすぎたし、内容があまりにパーソナルなので詳細は割愛するが、一昨日何人かで飲みに行ったときのことについて、昨日の朝、嘘を吐かれた。そのときの話をそこにいた別メンバーと帰りぎわに話していて嘘が発覚した。ややこしいので嘘を吐いたメンバーをAさん、嘘を暴露したメンバーをBさんとしよう。
BさんはAさんが私に嘘を吐いていたことを知らなかったので、嘘を暴いてやろうと思って暴いたわけではなく、話の流れで「こうだったよー」と話したことで私が
「え?待って。Aさん朝にこう言ってましたよ?」と確認。
「あれ?マジ?Aがそういうことにしようとしてたなら言ったらマズかったかな」
「えー、なんですかその嘘!Aさん全然意味わかんないしなんでそんな嘘吐くんですか!笑」
「昨日、まふゆさん(仮。私のこと)あれでこうでこうだったじゃない?だからそういうことにしておかないと悪いと思ったんじゃない?Aそういうの結構気にするから」
「なんだよAさん、そんなこと気にしなくていいのに!」
なるほど。
最初にその嘘が発覚したとき、まさかそんなことで嘘が出現しているとは思わなかったのでまず驚きが先に来て「え?え?え?どういうこと?」ということしか考えられなかった。続いてBさんがAさんが吐いた嘘について予想を立てて解説してくれたので「…ああ…、そういうことか…」と思い、嘘を吐くまでの一連のAさんの考えの流れについて、一から十まで全く嫌な気持ちにならなかったので、嘘吐かれても嫌な気持ちにならないことってあるんだなあと思った。意外だった。
更にいうと、朝の時点でAさんが嘘を吐かずに「こうだったよ」と話していたら私は「えーマジすか酷いわー笑」という反応をしたと思う。ちょっとショックも受けただろうと思う。
でも実際Aさんが嘘を吐いてくれたことで、その後事実が発覚する前も後もショックを受けることは全くなかった。ちょっとのショックを回避できた。
人間が誰かと関わって生きていくとき、全ての状況と感情を事細かに説明することができるなら本来こんな嘘は必要ないのだろうけれど、いちいちそんなことしながら生きてはいけない。私は「嘘は悪」というスタンスで生きて来て、ダメな嘘ももちろん世の中には物凄く沢山あるけれど、実際は必要な嘘もあるんだよねーと改めて思った。
今回吐かれた嘘は今まで経験ないほどベストな嘘ではないだろうか。誰も傷ついていない。
嘘を吐くならこういう嘘を吐きたい。
結論。
私、知らないところでめちゃくちゃ気を遣われている。
申し訳ない。
最近お酒を多めに飲むと調子が悪い
主にフィジカル面ではなくメンタル面で。
なんだか動揺してしまうしマイナス思考になったりしつつ、記憶を結構飛ばしたりする。
なにこれ?加齢?加齢による記憶障害?
酒をやめろという神様のお告げだろうか…。
いや、神様相手でもそれは無理。
(注・アル中ではありません)
ほどほどに楽しく飲んで楽しくフワフワしたいのに、なぜか最近うまくいかないんだよねえ。
とりあえず
・飲むときは必ずチェイサーを用意
・何も考えずに目の前のグラス(ジョッキ)を空けない
・味わう
あたりを肝に命じて次回に備えたい。
(次回は来週の予定)
タチ悪い
少し前に前の前の会社のおじさんが亡くなって凹んだりしていたのだが、幸い仕事に忙殺されてそのこと自体を忘れている時間が長かったりして、悲しいことがあるときは忙しいのありがたいなと思ったりしていたのだが、忙しければ忙しい分肉体的には当然消耗するし、なぜかそんなときに限って飲みに行く機会が多かったりもし、ハイボールが180円というたぶんそれハイボールじゃないよねってシロモノを出す店でおかしな潰れ方をしたりして、更に昨日会社の部署の飲み会で二次会に行ったところまでは割と覚えているのだが二次会の記憶が非常に曖昧で、まあそれでも帰りの記憶は結構あるし潰れたわけでもないしちょっと酔っ払いすぎたくらいかなと思っていたら、今日の昼休みに私が記憶を飛ばしていた時間の話をされ、自主的に思い出すのは無理だったものの話を聞くと断片的に思い出される自分の行動があれこれ明らかになり、「うわあそれタチの悪い酔っ払いじゃねえか!」と思っている現在。
昨日の飲み会ではあまり飲み会に参加しない派遣さんも参加していて、「いつも飲むとあんな感じなんですか?いや、楽しくてテンション上がっちゃってたのか酔っ払ってたのか区別つかなくて」と言われたんだけど、それ言い方に気を遣ってくれてますよねホントごめんなさいと思った。
ダメだ、疲れていると自覚があるなら飲みすぎたらダメだ。
もういい大人なんだからもっと自制してスマートに飲もうぜ酒。
自分の酒に対するキャパを過信しちゃダメだ。
ていうかむしろ歳を負うごとにお酒での失敗が増えている気が。
年齢?年齢のせいなの?
いずれにしても気をつけたい。本気で。
Sell in May
投資の格言みたいなもので Sell in May というものがある。
「5月中に売っぱらえ」というそのままの意味だ。
よくよく調べたら Sell in May には続きがあるらしい。
Sell in May, and go away; don't come back until St Leger day.
5月中に売れ、9月第2土曜まで戻ってくるな
という言葉だったらしい。知らなかった。
要は相場の高い時に売って安くなったらまた買いに来い、ということらしい。
いや別に相場の話がしたいわけではない。ただ、5月だな、Mayだなと思っただけだ。
5月といえば薫風で新緑である。清々しい季節がやって来た。
桜餅を食べ損ねたので柏餅は絶対に食べたい。今年たぶんずっと桜餅を食べ損ねたことを後悔し続けると思う。
30日にとらやに寄ったらもう完売していたのだ。もう夕方だったので売り切れもやむなしと思ったが、売れるんだからもっと用意しとけ!とらや!!と毎年思っている気がする。午前中に買え!私!!
柏餅は必ず買う、明日は他の予定があって寄れないのがほぼ確実なんで無理だけど。こし・つぶ・みその3色を絶対に食べる。と決めている。
色々ありました
ブログを書いていない間に色々あった。
以前は発熱しづらい方だったのに、最近は体調を崩すとすぐに熱が出るようになった。
熱が出ると頭痛がしたり身体を動かすのが辛くなるのだが、なにせあまり発熱しない人生しか送って来ていないためすぐに気付けず
「あーなんか凄く眠いなー、頭も痛いなー、なんでだろう…」
と寝ている最中に
「あれ、これもしかして熱出てるやつじゃね!?」
と初めて気付き、漸く体温計を手に取って38.5℃もあるじゃねーかマジか、と、そういうことになる。
たぶんこれまで若さとか体力とかそういったものでちゃんと押さえ付けられていたもの(熱)がだだ漏れるようになったのだろうなと認識している。
そういうわけで、もう数週間前の話だが、発熱した。道理で頭痛いわけだよ。偏頭痛持ちでもないのに最近頭痛いことが増えて、なんでだろう?と思っていたのだが、もしかすると微熱程度は出ているのかもしれない。
先日の体調不良は発熱が語るべきメインの話ではなくて、固形物を食べると全てくだっていくというのがメインのストーリーだった。
ストーリーて。
お腹はめちゃくちゃ減っているのに固形物を食べると全てがゆるゆるになって流れ出ていくので、ウィダーイン的なあいつと白湯だけを友達としていたのだが、結局普段通りに固形物が食べられるようになるまで2週間かかった。2週間もウィダーイン的なあいつだけの生活を送ると、要は強制ダイエッツをしているような状況になるわけで、胃の内容物も常に少ないわけで、結果胃が小さくなったようで、未だにまだ元のとおり沢山食べることができない。元のとおり食べられないのに「足りないかな」という気がしてしまって余分に買うので、食べている最中に「やばい沢山買いすぎた…」ということがよく起きて、私いつ学習するのだろうと凹んだりもした。さすがにここ数日は「気持ち『足りないかも』くらいで丁度いい」ということがわかったので、一緒にお昼を食べているおばちゃんたちに「まふゆさんまた食べすぎちゃったの?」と言われることもなく、普通のOLさんみたいな少食っぷりでお昼にお金がかからなくて助かる。
そんな生活をしていて、ああこの感じ前にも経験したなと思ったら、かれこれ10年くらい前にも胃をぶっ壊して「食べ過ぎると胃痙攣を起こす」という厄災に見舞われたことがあったのを思い出した。
そのときも「お腹は減っているのに食べられない」(あとで胃痙攣起こして辛いから)で煮物とウィダーで過ごしていたし、その後、胃の調子が戻っても胃が小さくなってるから少食になって痩せたよねっていう。当時の上司にも「どんどん痩せていってるけど大丈夫か」と言われ、でもその当時、体重計の電池が切れて体重測れないからどれだけ痩せたのか確認できない、けど周囲に痩せた痩せたと言われるからそりゃ痩せたんだろう、みたいな認識しかなかったが、蓋を開けたら2ヵ月ほどで10kgくらい落ちてたので、消化器ぶっ壊れダイエッツ最強だなと思う。身体にはめちゃくちゃ悪そうだけど。
10年くらいのサイクルで消化器ぶっ壊れダイエッツをしなきゃいけない運命だったら物凄くイヤだな…。辛いし…。
そしてこの前の消化器ぶっ壊れダイエッツのあと、飲み会があって初めてビールを飲んだとき(消化器が弱った病み上がり後にアルコールを摂取するのはやめましょう。アルコールも炭酸も刺激物です)、何事もなくビールを飲めるのはありがたいなあと感慨深く思ったりした。
あとは……ひとつは愚痴にしかならないので触れないでおく。
もうひとつは、なんというか結局のところ自分の問題でしかないのだが、とある状況にぶち当たって「ああそうだよな私はいつもこうなんだよなあ忘れてたけど」と悲しくなったことがあって、ひとしきり悲しがった挙句来世に期待するといういつもの諦念に達し(前にも書いたかもしれないが、凹んだら最終的に「来世に期待」で自分の気持ちに折り合いをよくつけている)、一旦来世に期待したらその凹んだ原因を別角度から別の方向性を目指してまた別のアプローチをするという方法を思いついてなんとか浮上したりした。
これも愚痴になるのかもな。すまんな。
ところで本当にどうでもいいことなのだが、今このエントリをスマホで打っていて、予測変換で出てくる文字がとにかくおかしくて一体なんなんだよと思っている。「書いて」と打ったのに「買いて」と出てきたり(どこの文語だよ)、「出て来たり」を勝手に「出て来たら」を候補の上にずらっと並べたり、「打ったのに」も「あったのに」にしたり、お前実はバカなんだろ?と思うような……
…
…
予測変換が予測しすぎると逆に不便だよAppleさんよ…。
今日は気持ちの赴くまま、勢いのままでバーっと書いたうえ(とまで打ってから「いつもそうじゃないか?」と自問した)上記のように予測変換がバカなので誤字脱字だけじゃなく乱文かもしれないけどもう寝るのでまた今度。
次はもう少し短いスパンで書きたい。