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アンサーソン

おひとついかが

袋 _補足あり

日常 戯れ言 考察

ちょっと重めの話で更新が止まっていたので反省した。

どういういきさつかはわからないが、普段ロクに人の通らないことでお馴染みのこのブログの通行量だが、俄に通行人が増えるという現象にたまに遭遇する。昨日がそのトラフィック増大日だったらしく、通りがかってくれた人たちがあのちょっと重たい(というか無意味に露悪的な)内容をちらりとでも見てしまったのだなと申し訳なく思ったんだ。

こういったトラフィック増大がたまに訪れるので、嫌な感じのエントリをUPしたあとは軽い雑談程度の内容でも更新しておいたほうがいいかもしれないんじゃないか自分。

いやたぶん今決意したとしてもすぐ忘れるんですけどね。

 

 

 

心の奥のネガティブ感情や本音をさらけ出す事はあるのか? - 能面ヅラ美

 

これを読んだ。

 

私の場合の話をしようと思う。

私はネガティブ思考だ。ポジティブになろう!と心掛けて頑張ったこともあり、以前と比較したらだいぶポジティブになったと自認しているものの、それでも尚ネガティブが元気に体当たりしてくることがある。

あいつらは割と力が強い。重量級なうえに力いっぱいぶつかってきやがるので、すっかりマウントされてしまうと立ち上がるのが困難になる。最初にぶつかられたとき、まずは2発目を喰らう前に素早く立ち上がるのがポイントだ。

 

ネガティブな考えが頭を占領し始めたことに気付いたら、一旦ストップしてみること。

ストップして別のことを考えてみること。

そのへんを心がけている。

ストップしたときに考える楽しいことや面白いことをリストアップして備えておくと便利。

 

それでも果敢に私の上に乗りかかろうとしてくる不届きなネガもいる。あいつらは本当に厄介だ。でも口には出さない。他人には話さない。

 

ネガティブ思考は、口に出すと肥大すると思う。

 

言霊というとちょっと違うのだけれど(似てはいる)口に出すことで思い込みが深まるんじゃないかと思っているのだ。「転職できない」と口に出すことで「やっぱり転職はムリだ」というイメージトレーニングをしてしまうような感じ。伝わってなかったらごめんなさい。

 

どうしても口に出したくなったら、チラシの裏でもノートでも手帳でもなんでもいいので、今浮かんでいることを全て書き殴る。手が疲れても紙がなくなりそうでもボールペンのインクが切れても、別の紙を用意しボールペンのリフィルを用意し手をマッサージしながらとにかく全部書く。浮かんだこと全部。腹が立ったことも悲しかったことも悔しかったことも全部全部。いっぱい書くと、もう新しいネガ思考が浮かばなくなる。ここまで書ききったらおしまい。

チラシや不要な紙の裏に書いた場合はすぐに丸めて捨ててしまえばいいけれど、ノートや手帳の場合はわざわざ破って捨てなくてもいい。閉じて放っておけばいい。

これをやると結構スッキリする。

内省は一人でやるのがいい。

 

 

オットにこういったネガ話はしない。

ネガティブ(友達がいないとか、転職活動が滞りすぎているのでこの先もう今のロクでもない会社が傾いていくのを眺めながら老人になっていくのを待つしかないかもしれないとか)に関してはもう自分の中で考え尽くしているので、今更外に吐き出したところで何が変わるわけでもないとわかったからだ。誰かに話して一瞬はスッキリできても、原因が取り除かれるわけではないのでどうせまた考え始めてしまうことがわかったからだ。結局は時間をかけたり工夫したりして自分で解決しなければならない。解決できないことならば、粛々とその事実を受け止める方法を考えたほうが建設的だ。

それに加え、私が仕事で疲弊しているのと同様オットも仕事で疲れて帰ってきているので、私の(恐らく身内から見たって十二分に些末な)ネガ思考に付き合わされたら嫌だろうなー面倒だろうなーと思うので言わない。私が聞く側だったら面倒になるだろうなーと思う。確実に思う。だから言わない。

 

勿論、自分の中だけで終わらすことのできない、オットに相談の必要なものに関しては相談する。相談というか話し合いをする。

現実にこういうことが起きてこうなってしまった、私はこうしたほうがいいと思うけれどオットはどうか、と伺いを立てるのだ(注・オットは促さないと自分の意見を言わないほうのちょっと厄介な人)。オットが意見を言えば、私と意見の相違があったとしても折衷案が出せるし、細かい違いに関しては軌道修正ができる。

 

 

話が逸れた。ネガの話に戻る。

たまに、他人を愚痴るための袋だと思っているヤツがいる。

「王様の耳はロバの耳」の穴のようなものだ。言いたいことを叫ぶだけの袋。

 

これは私の持論なのだけれど、人に延々愚痴るヤツは大概他人の愚痴を聞かない。聞かずに流す。

酷いものになると「えーそれはまだいいよー、私(俺)なんて〜」と自分の愚痴をかぶせてきて、結局最終的には自分の愚痴を垂れ流す。

 

これは愚痴の勝負なんだろうか。環境の悪い方の勝ちなのか。お前はそんなものに勝って嬉しいのか果たして。

 

そういうヤツの私生活や仕事が上手くいって、愚痴のないときはこちらから誘っても断られる。

 

そうして友達はできぬままなのに、愚痴を言いたいときだけ呼び出されたり電話が来たりするような状況をいくつか経験した私は、他人に愚痴を言わなくなったし、愚痴しか言わない人はどんどん切り捨てていくようになった。携帯のアドレスを瞬時に消去するレベルだけはどんどん上がった。名前が非表示の電話には決して出ないし、メールも読まない。

 

知り合いはどんどん減ったけれど、精神的にはどんどん健康になった。他人の愚痴を大して聞かなくていいという状況はこんなにも精神的に健康なのかとちょっと嬉しくなるくらいだった。心が軽いのだ。

 

そもそもこちらから誘ってもいつも断られるならば、その人にとって私は一緒にいて楽しい相手ではないということなのだと思う。会いたいなと思ったら誘うだろうし、誘われるものだと思う。

会いたいなと思う人(異性だけではなく同性に関しても)に会いたいと思われていないのはとても悲しいことだけれど仕方ない。恋愛関係でも友人関係でも、想いが一方通行ならば一緒にいる意味なんてない。相手が自分のことを想って(慮って)くれないのなら、一緒にいたってそれは赤の他人と一緒にいるのと同じだ。

(これどこかで書いた気がする。重複してたらごめん)

 

 

偉そうに言っているけれど、愚痴を漸く言わなくなったのなんてここ何年かのことで、精神的に健康になったなと思うのもここ何年かの話だ。

 

ときどきは内省したりネガティブの海に身をゆだねるのも思考が深くなっていい気がするけれど、あまり頻繁だと病むので気をつけた方がいいよーと個人的には思っている。

 

凜と咲け 両目をひらけ 陽に向けて 風雨に何度散らさるるとも

 

楽観的なほうが長生きって調査もどこかにあったしね。

長生きしたくないよーという人もいるだろうが(私もそうだ)、苦しまずに死にたいっしょ?苦しまずに死ぬなら健康じゃないと厳しいぞ。健康な人がどういう状況で死ぬのかはちょっとわからないが。

 

 

 

【補足】

補足というか書くのを忘れたこと。

愚痴をこぼすなと言っているわけじゃないんだ。愚痴にはコミュニケーションの手段って側面もあるし(話題提供という点で)、こぼしたあとのいっときのスッキリだったとしても、スッキリするならそれが精神面によくないわけがないと思うし。

ただ、やっぱり相手の選別は必要だし(私みたいな考え方の人にずっと愚痴ってるとアドレス消されたりする)、愚痴こぼすのはほどほどにしなねーという話。

愚痴ばかりこぼしてると暗い気持ちになっちゃうけど、楽しい話をすると楽しい気持ちになるっていう単純なことなのだけど、、まあ、私も以前は愚痴魔王だったんで難しさは凄くよくわかるよ。みんな気楽にがんばろう。

 

おきらくごくらく!(懐かしい)

 

…今思い出したのだけれど、私が愚痴を言わなくなったのって上では「ポジティブになろう!」と心がけたことがさもきっかけのように書いてしまっていたけれどそれではなくて、前置きの長いとある愚痴があって、その前置きを説明するのが面倒だな…と思ったのがきっかけだった、そういえば。

んで面倒なので言わずにいたらなんとなくそれでも特に問題なかったんで、ついでだからこのまま愚痴こぼさない人になれるかな?と愚痴をできるだけ言わないようにしているというだけの話だった。

私が特別ポジティブになったわけでもなんでもないけれど、ネガティブに考える癖が薄らいできたとは思うんだよね。やっぱり口に出すことで自己暗示にかかるようなところもあるんじゃないかなー。だって愚痴こぼさなくなってから「ま、いっか」と思えることが格段に増えたもん。

それでもそういう考え方に「合わない」と感じる人もいるだろうから、「これ読んだお前ら全員これをやるべき」とは思っていないけれど、やってみようかなと思った人がいるなら試してみるのも面白いかも。

 

余談だけど疲れてるとネガティブ思考になりがちなんで、睡眠はしっかり取ったほうがいいよ!

 

ていうか能面さんのエントリと内容がだいぶ乖離してる…。超ごめんなさい…。

私には内面を全てさらけ出せるような相手はいないけれど、上記のような感じでそれでもいいと思ってるし、特に無理もせず、友人もいないけれどそこそこ楽しく生きてます。