アンサーソン

おひとついかが

☆の話

みんなそんなにホッテントリ入りしたいものなのだろうか。

 

私、はてなブログ始める前から考えるともうかれこれ10年ブログを書いていて(まったく書いていなかったときもあるけれど、3ヵ月は開いてない程度)、ブログはネットで公開される日記みたいなもの、好き勝手なこと書いていいもの、という印象しかなかったので(本来の「blog」はもっとためになるものだったらしいけど)、はてブを初めて知ったとき、そしてはてなブログを始めたとき、「ホッテントリ入りしたい!」って目標がしっかりしている人が多くて驚いた。

ホッテントリ入りしたい人ってやっぱりみんなその先の「ブログが本に!」みたいなのを目指してるのかなあ。

なんかよくわからないや。

批判してるわけじゃないんだよ。なんか最初から見えてるものが違って凄いなーという話。自分があまりにも緩く始めてしまったので、ちゃんと先見据えてるのが凄いなーと思うんだ。

流れで学校入った私と、最初からガッツリ人脈作って起業するつもりで学校入った人の違い、みたいな感じで、なんだろう、劣等感に近い何かを感じるんだよ。

 

……あーでもこれルサンチマンかもしれないとも今少し思った。

 

羨ましさの裏返しみたいな。

先を見据えてしっかり計画的にうまくやっていけるかもしれないことに可能性を感じるよね。だから羨ましいという気持ちがあるのも事実なんだけれど、「私そんなの興味ないしー、けどそういうの最初から見えてる人凄いねー(棒)」みたいな?

イヤな感じだな私、物凄く。

 

 

いや、言いたいのはそこじゃなかった。違う、そこも言いたい部分ではあったんだけどもともと言いたかったのは以下。

 

はてなスターがあるじゃない。あれつけて貰えると「スターを付けてお礼をしましょう!」みたいなメールが来るじゃない。

でもさ、ブログ書いたり増田書いたりしてる人って、「このエントリいいね!」という意味でスターをつけて欲しいわけじゃない?しかもスターってもともとそういうふうに使って貰うためにできたものなんじゃないの?(実際にスターができたいきさつはわからないけれど)

と考えると、「なんか知らないけどスターつけて貰ったから『お返しに』スターつけるっておかしくないか」と思うんだ。

 

たぶん私のところにも、その人のところでスターつけたから「お返し」という意味でスターつけに来てくれている人がいると思うのだけれど、「なんかごめんなさい、そんな無理に来なくてもいいですよー」と思ってるって話をしたかったのね。

確かに沢山スターがつくと嬉しいんだけどさ、それを義務感でつけられちゃうと違うんじゃないかなー、スターの主旨から逸れてる使い方をしているんじゃないかなーと思うし、個人的にはあまり好きじゃない感じのやりとりだなーと思ったんだよね。私Mixi疲れFacebook疲れもTwitter疲れもしたことないんだけれど、それは好きなときにしかログインしないし、本当に「いい」と思わないなら「いいね」つけないし、義務感で他人のウォールを見に行ったりもしないし、誰かが一生懸命訴えてることがあっても、自分がなんとも思わなければ全部スルーしちゃうからなんだと思うのね。

だって義務感で反応して貰ったりいいねつけられても嬉しくない。

 

読んでくれて「面白い」と思って貰えてつけられるスターなら嬉しいけれど、そうじゃないなら申し訳ないしあんまり嬉しくない。

 

そんなわけなので、もし義務感にかられてスターつけてくれる人がいたら、無理しないで大丈夫ですよー。

 

 

 

 

 

と書いたところで、スターがまったくなくなったらちょっと悲しくなってしまうんだろうな…と思った。けどそれも致し方ないしいいっす。……いいっす…。