アンサーソン

おひとついかが

シューキョーカンとヨンダホン

いつもどおり結構長いです。

最終選考まで残った、志望度の高かった企業から不採用のお返事をいただいたことはこちら↓

answersong.hatenablog.com

でお話したが、その後気持ちが非常に荒み、普段ちらりとも信じないクセに「どっかに当たる占いないかなー」と血迷って都内の占いの検索を始め、結果なぜか占いではなく「預言カフェ」なるものにぶち当たり、「あー、あそこかー。あそこなら歩いて行けるじゃないか(徒歩45分くらい。無職は暇なので45分なら徒歩圏内)」と、預言カフェについてググりまくって行ってきた。

簡単に説明すると、「預言カフェ」って名前はこれまた非常に胡散臭いんだけれども、占いの類ではなく本当に預言(というか託宣)を聞きに行くカフェなのね。神託プロテスタントの教会代表が経営しているカフェで、800円〜3,000円くらいのコーヒーを飲むと託宣がついてくるという仕組みになっている。3,000円!?高!と思うかも知れないがこれは「コピ・ルアック」という、コーヒー好きな人には有名なジャコウネコのフンからできている貴重なコーヒーがあるんだけれどもそれが1杯3,000円ってだけの話で、普通のブレンドならば800円だ。そこそこちゃんとしたコーヒー屋ならそれくらいするしタダで託宣ついてくるならまあ安いのではなかろうかと判断。

託宣を受ける際に録音機器がないとダメってのがちょっと面倒なのだけれども(帰ってから託宣を聞き直して書き出し、託宣の意味を考えるまでが一連の作業なため)スマホのボイスメモで充分ということだし、希望があれば少し時間はかかるが録音データをメールで送信してくれるというサービスもあるため、スマホ他録音機器がなくても問題はない。また、相談等ではなく一方的に預言者から「主の御言葉を聞く」というのが託宣を受けるということのようなので、託宣中に会話はない。結構なスピードで託宣が行われる。らしいというところまでは調べた。

……「託宣」が「行われる」が正しいのかどうかよくわからないので、表現として間違っていたらごめんなさい。

 

斯くして、私は預言カフェへと赴いたのであった。

因みに「あーあそこかー」と思ったのは、前の前の会社のクライアントへの通り道にあり、いつも結構な行列を作っている女子の皆さんがいて印象に残っていたからである。そのときは会社の人と「あれなんすかね」「占いじゃないの?」「いつも行列が凄いんだよね」程度の会話で終わっていた(そこにいた全員占いに興味がなかった)ため、この時までググったりもしていなかった。

 

ググった結果「結構な時間待たされるよー」的なことが書いてあったのでそれなりに待たされることを覚悟していたのだが、14時半に到着して名前を書き込んだ欄には「15時半頃」との記載。待ち時間は1時間程度であった。充分許容範囲(無職だから)。BIG BOX高田馬場の駅ビル)で時間を潰し、15分ほど前に預言カフェに戻ると待ち合いの椅子が空いていたので座る。結局15時半前に呼ばれたのではなかっただろうか。呼ばれたときちゃんと時間を見た記憶がないので定かではないが(ここに書くつもりじゃなかったため。だってなんか弱って占いっぽいものに頼ってるのダセーなと自分でも思ったんだもん)、時間より前に呼ばれたような気がする。

これまたちょっとダセーなと思いつつ、無職なので一番安い「預言カフェブレンド」を注文。無職だからというのもあったのだが、ブレンドはそのお店のもっともスタンダードなもののため、スタンダードを味わってから次にいくのがコーヒー飲みとしてのプライドではなかろうかと思ってのことでもある。自分で打っててアレだけどコーヒー飲みのプライドってなによ。私何様よ。

でも預言カフェブレンドはとっても美味しかった。ちゃんとしたコーヒー屋さんのブレンドだった。

これまた記憶が定かではないのだが(うろ覚えのことばかりでごめん)、基本的にはペーパードリップで、100円プラスかなんかでプレスのコーヒーも飲めるとかなんとか書いてあった気が。気のせいだったらごめん。

余談だけど、コーヒーはペーパードリップで雑味がなくスッキリした味わいになる(フィルターにコーヒーの油なんかが吸収されちゃうため)反面、スッキリし過ぎてしまうきらいがある。一方プレスは香りも味も砕けた細かい豆のカスも全部飲めるため、コーヒーのよさがわかりやすい。ただ、口の中にコーヒーかすが残ってしまったりクセが強く出過ぎるため、ペーパードリップのほうが好きという人も割といる。私はどちらかというとプレス派だけど、無職なので今回はペーパードリップにした。ちゃんと美味しかった。

 

コーヒーを飲み終えたら預言者の方が来るという仕組みになっている、とネットには書いてあったのだが、実際は飲んでいる最中に来た。私がちんたらコーヒーを飲んでいたからかもしれない。ごめんなさい。今回私何度も謝ってんな。どうした。

特段問題はなかったので、託宣を始めて貰うことにした。

スマホのボイスメモを立ち上げ、録音ボタンをon。いきなり凄いスピードで託宣が始まる。

 

4分34秒。預言者の方が喋り続けた時間。一人で喋るには結構長い。内容も非常に濃いものだった。

私の状況とかなりマッチした内容のことを言われたので、ちょっと驚いてしまって少し泣きそうになった。泣きそうな自分ダセー。泣きそうになりながらも「これバーナム効果的なやつじゃないの」と思っていた私はクリスチャンではない。そもそも唯一神とか絶対神なんて信じていない。どれかというと八百万の神様やギリシャ神話の神様のような、ちょっとミスったりメチャクチャやりやがる存在がいっぱいいるというほうが神様としてありそうな気がしていて、八百万の神様ならいてもいい、と思っている。いるかもしれない、ではなく、いてもいい、だ。いたらいいな、というのともちょっと違う。想像ではないし願望ではないのだ。許可だ。私何様よ。

 

預言というのは、神の御言葉のことだ。その御言葉を伝えるのが預言者の役割で、クリスチャンは誰でも預言を受けることができるらしい。預言について考え、神の御心を知るのがクリスチャンの使命だ(と思う、たぶん。恐らくそういうことなのではないかと私は思っている)。しかしこの「預言カフェ」を経営している吉田さんという人が「主は万人を愛してくださっているのに、その御言葉をクリスチャンである我々しか聞けないのはおかしいのではないか」と思いこのカフェを始めた、とどこかに書いてあった。色々ググりすぎてどこで読んだのかは忘れたし、今ちょっとググったけれど見つけられなかった(似たものをこのエントリの後ろのほうにリンクしたので興味があればどうぞ)。

 

預言者というのは、誰にでもなれるものではないらしい。牧師からの推薦を受け、推薦を受けたものだけが受けられる訓練を受け、そうして預言者として認められて初めて預言者になる、という仕組みのようだ。つまり預言カフェの預言者の方はみんなガチのクリスチャンだ。

これは私の持論なのだが、信念のある人の言葉は強い。強いから、弱っている人がそれをいきなり聞かされると気圧されてしまう。気圧され、しかもそれが的を射ていたら「主やべえ、キリスト教やべえ」と思ってしまうのも自然の流れのように思う。

 

前述したように私には信じている神様はいないけれど、神様を信じるのは自由だし(私のことを勧誘したりしなければ)否定もしない。人には救われなかった人が、その神様に出合ったことで救われるのなら神様の存在も宗教の存在もアリだと思っている。ただ、神様や宗教を信仰することで危ういなと思うのは(宗教や宗派にもよるから一概には言えない部分もあるとは思うのだけれど)全てが「神様の思し召し」という考えになってしまって思考停止する可能性があるということだ。この「預言カフェ」に赴き託宣を受けたとき「主の喜ぶことをしなさい、さすれば主は貴方がよりよい生き方をするための資材を豊かに与えていきます」というような主旨のことを言われ、これは思考停止の理由になるなとぼんやり思ったのだ。自分の選択ではなく、主が喜ぶかそうでないかで選択肢が決まる。他人が全部を決めてくれる、指針がわかりやすく決められているというのはとってもとっても楽で、本当に疲れている人にとってそれは救いだ。選択の自由はないけれど、自分で考えなくても物事は進んでいくし、それがたとえ悪い方向に行ったとしても「神様の思し召し」という大義名分で自分の責任は回避できる。救いかもしれないが、これは麻薬だ。だって楽だもん。難しいこと、迷うことを考えなくて済むんだもん。もちろん、信仰があってもしっかりと自分の考えを持って自分の選択で生きていく人もいるのだろうけれど、そうでない人、そういう強さを持たない人にとっては非常に危うい。カルト宗教に限らず宗教の危うさというのはこういうところにあるのだなと思った。

しかしそれでもやっぱり、私はそれで救われる人がいるのなら神様も宗教も信仰もアリだと思う。思考停止になる危うさよりも、なにかよりどころ(この場合は宗教)を見つけて生きていけることのほうがベターだと思っているからだ。飽くまでも私個人の考えだけれど。世の中には信仰がなくとも思考停止に陥っている人は沢山いる。私には思考停止している人を叩く権利はない。私だって同じだからだ。考えていないこと、考えないようにしていることが沢山ある。今は無職で時間がいっぱいあるからつまんないことをいっぱい考えているというだけのことで、それでも考えないようにしていることがある。これは立派な思考停止だろう。

 

こうして自分の宗教観キリスト教について調べたり考えたりするきっかけをくれたのは、この預言カフェだ。800円でコーヒーを(しかもちゃんと美味しい)飲めるうえに勇気づけられたりスッキリしたりすることができるなら、やっぱり安いなというのが私の今のところの結論だ。無職なので次にいつ行けるかはわからないし、有職になったら今度は時間がなくて行けなくなるであろうと予想できるので、もしかするともう行けないかもしれないが、もう少し時間が経ったらまた行ってみたいところではある。そのときは有職だといいなと思う(時間あるのか?)。

 

 

かなり打っちゃってからみつけたのだがとりあえずリンクしておく。預言カフェの開店理由について語られている記事。確かにこれも読んだんだけどこういう感じではないものも読んだはずなんだよなあ。しかしそれは見つけられず…。

ddnavi.com

十字架もピアノも気付かなかったよ!どんだけ店内をさっぱり見ちゃいねえんだ私はよ。

 

 

 

 

はてさて、寺地さんの新刊を読み終えた。

ビオレタに続き、こちらも愛のお話だった。ビオレタはどちらかというと夫婦とか恋人同士、そこから生まれた人間愛についてのお話だなと2回読み直して思ったのだが、こちらは(まだ1回しか読んでいないが)親子愛と友人愛(そんな言葉あるのかな?)に重点が置かれているのかなと思った。他の人間愛もあるけれども。

「ビオレタ」やその前の「こぐまビル」と比較して、とぼけた寺地節はちょっと出番が少なくて(というかほぼない)、これは寺地さん本人の意向なのか、それとも編集の意向なのかどちらだろうと少し穿った見方もした。前2作に比べて登場人物それぞれの持ち物が全部重いので、とぼけた感じの入り込む隙がなかったのかも知れない。

少しネタバレっぽいことを書く(ネタバレNGの方はここで退出推奨)。

 

 

 

 

 

 

とある登場人物がやりたいと言っていることがあるのだけれど、正にそのものずばりのことを私の知人が実際に都内で無償でやっている。週イチで。正直なところ私はその知人のことがちょっと苦手なのだけれど、でもそれをやろうと思ったことも、実際にやったその行動力も素晴らしいと思うし心から尊敬している。私だったら思いつかなかったし、たとえ思いついても思いついた瞬間に「無理だな」と諦めてしまっただろうから。思いつく人はたぶんこれまでもいたとは思う。けれど、ちゃんと行動を起こして形にすることはなかなかできない。お金のためでないなら特に。

だから、公共施設や公のものに近い建物を交渉したりして無償〜格安で借りることも可能なのですよ、あとはテキストがあれば大人が誰でも関われるようにするといいと思いますよ、とその「とある登場人物」に教えたくてじりじりした。その登場人物には是非とも実行して欲しいんだ、形にして欲しいんだ。きっとそれで救われる人たちが大勢いるから。いや小説なのはわかっているけれども!

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右側に見えている黄緑色の布はブックカバーにしている手ぬぐい。手ぬぐいは本の大きさや厚さに拘わらずブックカバーとして使えるので便利。汚れたらすぐに洗えるしすぐに乾く点も便利。

表紙クソ可愛いんだけど、猫のイラスト間違ってない?茶色の鉢割れだよね?こいつ鉢割れてないよね?しかも茶虎だよね?余計な突っ込みなのはわかっているけど気になるんだよ、気になるんだよぉぉぉぉぉぉぉ。

 

 

夢中で打っていたら4時半。でも大丈夫、無職だから。

(実際は文鳥を起こしてあげねばならぬので早起きすることになります)