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アンサーソン

おひとついかが

さかいめ

日常 戯れ言 考察 あれやめろよ

Kindleで何か読む物を買おうと思ってAmazonを見ていて思いだしたのだけれども、普通の小説の表紙をラノベの表紙っぽくアニメ絵とか少女漫画絵とかにするのやめて欲しい。面白そう、と思っても本屋で手に取る勇気が出ない。というか手に取る気を削がれ、Amazonでも表紙を見ちゃうと買う気が削がれ、面白いのかも知れないと思いつつも買えていない本が割とある。

 

と私が言ったところで各出版社に於いては恐らくラノベっぽい表紙のほうが売り上げが上がるんでラノベっぽくしているのだろうけれども。

私みたいなのもいるので少し控えめにしてはいただけないものかなーと前々から思っている次第。

あれとかあれとかあのあれのやつとかきっと面白いんだろうけどな……。

文庫化したらそういう表紙になっていて「え?」と思ったこともある。なんでそんなふうにしちゃったのさ…。

 

 

 

 

 

ー 以下脳内垂れ流しなのでまとまってないし締まってもいません ー

 

というかさ、普段ラノベ読んでる人たちって萌え絵の表紙じゃないと本買わないの?中身面白いなら買うんじゃないの?その作家が好きだったら表紙がどうあれ読むんじゃないの?

私が「表紙があれだと買えない…」と思っているように、あの人たちも「表紙があれじゃ買う気にならない」と思うのだろうか。…思うんだろうな、だからこそあの表紙なんだろうな…。

ラノベって、少女小説みたいな感じでページの合間合間にも挿絵って入ってるんだろうか?入ってたら電車なんかでは読みづらくないのかな。入ってないのかな。入っていても気にせず電車で読むのかな。Kindleでは挿絵の扱いってどうなってるんだろう?

 

そもそもラノベとか少女小説と他の小説の区切りってどこにあるんだ?個人的には表紙がマンガとかアニメ絵かどうか(とか挿絵の有無等)で区別していたのだけれども、普通の小説の表紙を漫画家や絵師とかなんとか呼ばれるような人たちが描いたりするようになってわからなくなった。

ラノベを読んだことのある人から「なんか凄いんだよ、擬音ばっかりなの」と聞いたことはあるのだけれど、どのラノベもそうなわけじゃないだろうし、全部のラノベが擬音ばっかりってちょっと意味がわからないし、擬音を多用していたらラノベ、という考え方もおかしすぎるんでたぶん違うよね。じゃあどこに垣根があるんだよと。出版社の人はどうやって区別してるんだよと。

前に某書評家の人が「文芸」と「エンタテインメント小説」の区別を解説していたのだけれども、こっちの区別もかなり曖昧で、文芸にだってエンタテインメントの要素があったりするし逆もまた然りじゃん、と思ったんだよね。その人の言い分では「読んでる側が『感動を覚えるか』『面白いと思うか』で区別」的なことが書かれてたんだけれども、それって個人的な感想の域を出ないじゃない?その人のさじ加減次第じゃない?

ボキャブラリーが少ない人だったら感動を覚えても「面白かった」と表現するかもしれないし(巷でよくいう「女子がなんでもかんでも『カワイイ』と表現する」みたいな感じ)、いっときよくバカにされていたケータイ小説の書籍化で主人公とか主人公の恋人が死んじゃって、あまり本を読んだことのない読者が泣いて「感動した」と言っていたことを思うと、この書評家のいうように区別をするなら「ケータイ小説は文芸」となるんじゃないの、と思ったりするわけじゃん?でもきっとその書評家はケータイ小説は文芸ではないとかいっちゃうんだろう?じゃあどこで区別すんのさ。私はもっとはっきりした境目を知りたいんだよ、お前のさじ加減でどうとでもなるようなものではなくてさ。文芸とされているものでも読み口の軽いものはあるし、エンターテインメント小説とされているものでも感動作はあるんじゃないの?違うの?

 

疑問は次から次へと湧いてくるが、答えを知らないのでまったく解決しねーな。

とりあえず普通の小説(普通の小説っていう言い方もどうかと思うし、ラノベがなんなのかわからない限り普通の小説がなんなんのかももうよくわからない。ラノベを一度読んでみたらわかるのだろうかね…?)の表紙をどうにかして欲しい、個人的には。