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アンサーソン

おひとついかが

It's a small world

日常 戯れ言 考察

少し前に会社の人たちと呑んだのだけれど、そのときに「家でどんな話をするか」という話題になり、オットは基本的にうまいこと水を向けないと何も言わないほうなので「『おいしいね』とか『イマイチだね』とは話してます」と言ったら「感想?食べ物の感想なの!?」と驚かれた。

ご飯食べに行ったりしたら普通に感想言い合わない?美味しいとか自分は好みではないとかお前の好みの味ではないと思うが私は好きだとか。

だからむしろこちらが「えっ普通じゃないですか」と思って驚いたのだけれど、話を続けたらそういうことではなかった。

 

「会社の話とか仕事の話とかしないの?」

 

あーそっちか。しないんだよな私。だって会社の話とか仕事の話をしたら絶対愚痴になるのわかっているし、オットも疲れてんのに私の会社で何があってむかついたとか会社の人がアレであいつ使えないとか聞きたくないだろうし、何よりも私は愚痴を言い始めると増えるんだ、マイナスの気持ちが。それに人間関係とかその話をするにあたっての土台になる説明をしていかなきゃいけないのがクソめんどい。どちらかというとオットの疲労感を慮ってというより後者2つの「自分に返ってくる疲労感」がイヤで話さないようにしている点が大きい。前にもどっかで書いたなこれ。

 

「しないっすね」

「えーウチの奥さんなんか今パートしてるんだけどパート先の話しかしないよ?」

「ウチもフルタイムで働いてるけど職場の話ばっかだよ」

 

 

 

その話をしていてひとつ思い出したことがある。

私が高校を卒業して間もないときのことだ。

私の高校は一応進学校(女子校)で、一部の特殊な人を除いてほぼ全員が進学する。一応進学校だけどバカ高校なのに。この「一部の特殊な人」は、私の地元がクソ田舎なので「地元駅弁に受からなかったなら地元で就職しろ」と娘に宣うような親を持った、ある意味気の毒な子たちのことだ(ちなみに私は暗に母親からこの宣言をされていたのに気付かず、援助を受けられないなら自力でなんとかできる方法を考え家を出たクチだ。この話、あとで書くかもしれない。書かなかったらごめん)。彼女たちの選択肢は「地元駅弁」と「就職(公務員)」のみである。特殊な人の家庭事情によっては「地元駅弁と公務員以外にMARCH以上であれば受験可能」という子もいたがバカ高校なのでMARCHなんてムリという子が多く、成績のいい子を除いては必然的に選択肢が「地元駅弁」と「公務員」に二分される。

そういうおうちの子が私の身近にいた。仮にHとする。

 

ーーここからHが就職するまでの過程を説明したが、よく考えたらこの説明いらなかったわーと思ったけれど折角書いたので残しておくことにする。過程どうでもいいわという方は下の「過程ここまで」までスクロールしてください。ーー

 

高校はだいたいどこでもそうだと思うのだけれど、ご多分に漏れず私の通っていた高校でも2年次に「国立文系」「私立文系」「理系」でクラスが分かれた。女子校なので理系の人数が少なく、国立文系が3クラス(A〜C組)、私立文系が2クラス(D、E組)、理系が1クラスだ(3年次で国文が1クラス減り、私文が1クラス増える。成績を見て国→私への志望校変更が割とあるため)。私とHは理系クラス、F組だった。

Fは理系なので志望校がしっかり固まっている者が殆どを占め、迷いのある者はほぼ国文クラスへいく。そういう事情でFから就職者希望者が出ることはあまりないのだが、私の年は2人が公務員への進路変更を申し出た。その1人がHだった。話を聞いたときは「親からそう言われた」と言っていた。MARCHに行けるなら受験してもいい、と言われたとも言っていたが、彼女は自分で「そーれーはームーリー」と言った。私もそう思った。

 

なぜかは知らないが、私の高校から公務員試験を受けるというと大概受験するのは郵政だった(郵便局員が公務員だったと知らない世代ももうすぐ出てくるのだろうね…)。市職も県職も裁判所もあるじゃねえかと思うのだけれどなぜか郵政。Hも郵政の試験を受け「いやあれ面接酷かったわー、落ちるわー」と言っていたのになぜか受かり(よく覚えていないがおふざけギリギリの発言をしていた記憶)数ヵ月後に郵便局員になった。

 

ーー過程ここまでーー

 

就職したHは、よく職場の話をした。それは愚痴だけではなく「こんなことしたよー」という楽しげな話や「こんなお客さんが来たよ」というとぼけた話だったりもしたが、ある日私は思った。

「コイツ、職場の話しかしねーな」

 

正確には「つまんねーな」と思ったのが最初(酷いのは百も承知なので突っ込まずにいただけるとありがたい)。つまんねーなと思いはしたが、その原因がどこにあるかわからなかった。わからなかったので「つまんねーな」の原因を探り始め、行き着いた先が「(私にはよくわからない)職場の話しかしないからだ」と気付いたのだ。

そりゃあ初めて経験する職場で、初めて自分が社会人として接する社会人ばかりの環境ならば、生活のすべてがそれ一色になってしまっても仕方ないと思う。けれどHはそれ以外の話をしようと配慮できるほど大人ではなかったし、私もHのそれを容認できるほど大人ではなかったのだ。そして私は

「話の内容が一辺倒になってしまうのは怖い」

と思うようになった。今でもそうだ。

話がつまらないのが怖いのではない。話がつまらないなんて私に関しては昔も今もずっとそうだ。そんなことを思い悩んでいるのではない。ていうか思い悩んでいたらもっとエンタテイナーになれていたんだろうなあくっそー。

誰かと話すとき「こいつこの話しかしねーな」と思われるのが怖いのだ。イヤ違うか、外からの評価はどうでもいい。自分の世界が狭くなるのが怖いのだ。ひとつの世界でそのことしか考えなくなっていくことが怖いのだ。それと同時に、そのことに自分が気付かない可能性があることも怖いと思う。

 

だけどこれは飽くまでも私がこう考えているよというだけの話で、「他の人もこうあるべき!」と思っているわけではまったくない。これが良いとか悪いとかの話でも批判でもない。冒頭の奥さんたちの話だって「そんな奥さんの愚痴を優しく聞く夫」という微笑ましい惚気がそこにあって、そうやって幸せに生活を営んでいるのであれば特に「私、世界が狭いかも」なんて気に病む必要も全くない。ただし旦那さんが「ちょっと勘弁してくれ」と言うのであれば少し他のことに目を向けてもいいかもしれないよねーくらいのもんだ。

 

 

 

全く関係ないんだけ凄い前に「ブレイク寸前アーティストランキング」みたいなランキングで何年か連続して1位を取っていた某ミュージシャンが(この前提の時点でおかしい)役者としてたったいま紹介されていて、役者として活動していたことに驚いているのか、それともまだ活動していたことそのものに驚いているのかわからなくなりながら締めたいと思う。締まらねえ。