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アンサーソン

おひとついかが

断末魔

1.

先日の「アグレッシブス」というエントリについてもっと考えを深くしたいと思い、オットと酒を呑みながら「アグレッシブなブスがモテる、たぶん男の人でもそう」という話をするためにまず「ほら、男の人でもむしろブサイクなのに彼女切れない人いるでしょ?」という話をしたら「面白かったり一緒にいて楽しいからでしょ」と言われた。違うんだ、まだそこまで行かないんだ、その前段階の話なんだと思いその旨を伝えた上で「でもその面白さや楽しさを相手にわかって貰う前に『俺はブサイクだから』と諦める人もいっぱいいて、そこを出し抜けるのがアグレッシブなブサイクなんだよ!」と言ったら「だろうね」と言われた。

…違うんだよオット、もっとそこから話を広げたいんだよ私は。「だろうね」じゃ話が広がらないじゃないか!

それで色々熱弁した結果、「政府は婚活だの街コンの推進みたいな結果が出るんだか出ないんだかわからん事業をやるより、小中高のうちにもうちょっとアグレッシブに動ける能力を養うべきだ」というなんかデカイ話になったのはいいのだが、結局ほぼ一人で話していた。どういうことだ。

 

2.

「最近お手洗いで放屁するとき断末魔の叫びみたいな音が出るんだがどうしたらいいだろう」と言ったら「知らないよ」と言われた。どういうことだ。

 

 

オットはもっと私の考えや悩みと真剣に向き合ってくれてもいいと思う。

 

 

 

アグレッシブな人を増やすのはいいけれど、今現在凄く結婚したいのにできなくて辛い思いをしている人たちを救えるいい方法がないというのが問題だよね、と思ってる。

 

というかさ、これ私の個人的な意見なんだけれども、少子化の話は一旦置いておいて、ちゃんと結婚したいと思えるくらい好きな人ができたら結婚するということにしたほうがみんな幸せになりやすいんじゃないかなーと思うんだよねえ。周囲が何を言っても放っておけばいいんじゃないのかな。

「親にウエディングドレス姿を見せたい」とか「孫を抱かせてあげたい」とかもあるんだろうけれど、それは親の幸せ(かもしれないこと)であって、自分の幸せとはまたちょっと違うというか、親が幸せであろうことで自分がよかったと思えるであろうことでしょ?そこらへんの「親」と「自分」の境目をはっきりわかっておいたほうがいいんじゃないかなと思うんだ。

そうして「自分」と「親」を混同してしまっていたり、「子供好きだし欲しいし」「老後に一人はイヤだし」「ぼっちだと格好悪いし」という感情や不安全部の解決策としての「結婚したい」ならば、それはやっぱり「自分が幸せかどうか」じゃなく「周囲から幸せに見えるかどうか」に重きを置いているようにしか見えないんだよね。

まあそんなこと私が言ったところで「既婚者がわかったような口きいてんじゃねえよ」と思われるのが関の山だと思うんだけれど、ちゃんと自分が幸せになれるように自分を大事にしてあげて欲しいなーと思うんだ。