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アンサーソン

おひとついかが

幻想(勘違いまたは妄想)

考察

雪凄いね。

朝(というか昼。12時過ぎ)目が覚めたとき、外でぽたぽたと滴の垂れる音がしていて、かつ雪が積もっているとき特有のあの「堅い音が吸収される感じ」が全くなかったので、カーテンを開けるまで「これたぶん積もってないな」と思っていた。しかしまんまと昨日想像していた以上に積もっていたので、私の感覚はきっともうポンコツになってしまったんだとガッカリした。

 

 

私も経験がある《自分に自信が無い人》の言動をいくつか - 能面ヅラ美

これを読んで

パートナーと「自己の拡張」について - ハート♥剛毛系

こっちを思い出したのでその話。

思えばこの話題(自己の拡張のほう)、忘年会後にぶっ潰れて帰って来たあとで猛烈にブログに書きたくなって、書いてる最中に寝落ちして公開したり削除したりした私にとって勝手に因縁のある話題。どっちもあるあるだよね。

 

 

世の中って基本的には平凡な人のほうが多いと思うのね。多いというか大多数が平凡で、平凡じゃない人なんてほんのほんのほんの一握り。周囲から「面白い」「変わってる」と言われていたとしても、それはその周辺だけの話で、全体で見たら「平凡枠の中で少し変わっている方に振れているけれど、際なわけでもないし平凡枠の真ん中あたり」っていうのが九割九分なんじゃないかなと思っている(九厘つけてもいいかもしれない)。

その中で、特に女性にそうなっちゃう人が多い印象があるのが「自分は平凡だけど、周囲からは少し抜けて『高収入』だったり『いい会社』に勤めている人をパートナーにする」ことで、自分の平凡さが少しだけ格上げされたりした感覚になり「自分が別のランクに上がった」と錯覚すること。

それって凄いのはパートナーであって、あなた自身ではないよね、という話になる。「有名人と知り合いなんですー、友達なんですー」と吹聴して回るのと一緒で、「凄いのは有名人であってあなたではない」のだ。けれど、こういう勘違いをする人はかなり多いように思う。聞かされた側は「知り合いだから、友達だから、恋人だからなんなの?」と思ってしまうのだけれど、それを言っている側は「だからなんなの?」と思われていることに気付いていない。

これについて書いているのがヅラ美さんのほうのエントリ。

 

一方で、さるころさんのパートナーと「自己の拡張」について - ハート♥剛毛系のような現象もある。

相手の時間や力やお金が自分のものである、自分の好きなように使って良いものだと錯覚する感覚。

 

格上げされたという錯覚をする人と、パートナー(とその人の力や時間やお金)を自分の一部と認識するイメージは似て異なるものだが、そういう錯覚を起こす人との「付き合いたくなさ」はよく似ている。もしかするとそれぞれこういう錯覚を起こす人の感覚は、根本の部分でどこか同じ流れを辿っているのではないだろうか。辿った先のどこかで分岐したのかもしれない。

 

自分が現状以上の力(や時間やお金)を持っているという錯覚。

そういう勘違いをする人たちが、そういう勘違いをする人との付き合いを望んでいる人と円満に過ごす場合は問題ないのだろうが、「俺の稼ぎははお前のものじゃねーし」「俺の時間はお前のものじゃねーし」と思う人が、その力を借りてどこか(物理的な場所ではなく)へ行きたい人とお付き合いする場合は軋轢が生じる。需要も供給も成り立っていないのだから当然だ。

 

同性の知人友人同士でもこの錯覚が起こることはあるのだろうけれど、恋人や夫婦のほうが起こる可能性が高い気がする。

恋人や夫婦というのは、他の人間関係と違って関係性がちょっと特殊だからなのだろうか。

甘えというのとは違う気がする。依存のほうが近いイメージ。

いずれにしても、自分がそういうことをされるのは不愉快なので、他人にそう接するようなことがないように気をつけたい。

 

雪中に 誰(た)が為にあらず自(おの)が為 開きはじめる白梅の花

 

久々にちゃんと詠んだ。

昨日の朝、出勤のときに開き出していた白梅があったんだよね。梅は寒さに強いイメージがあるから大丈夫かなと思うけれど、雪が凄いからちょっと心配。

 

でもこういうふうになるのイヤだなーと思いつつ、気付かずに自分がそうなってしまっていることって往々にしてあるんだよなあ。自分のことをしっかり客観視するのは難しいからこそ気をつけたいところ。