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アンサーソン

おひとついかが

いない

多少口のききかたの悪いこともあるけれど、基本的にはいい人間だと思っているのに友達がいない。

知り合いなら割といる、というか知り合いしかいない。

残念。

 

今日どこかで見かけた文言で

「やってあげたことは忘れろ、やって貰ったことは覚えておけ」

というのがあって、そういうのが大事なのかなーと思った。

でもやっぱり「自分のほうが確実に過剰に供給してるよな…」と思っちゃったりするよね。どうにかすればそういうことを考えなくなれるんだろうか。

自分からの供給が過剰であることが多々あるから、「ここでこうしてあげたらこの人にとっては楽なんだろうな、ありがたいんだろうな」と気がついても、意識的にやらないようにしようと思ったりする。これは「相手からの供給がないから」ということよりも「自分の供給に対する相手の供給が少ない、またはない」ということに気付いたとき、多大な虚無感に襲われるからだ。

よく友人関係に於いて(または家族関係に於いて)「見返りを求めるのは卑しい」というようなことをいうけれど、どうしたって自分がやってあげていることに対し、自分への供給が極端に少ないことに気付いてしまうと「バランス悪いな」と思ってしまうんだよね。そういう意識を持ってしまうこと自体が卑しいんだろうけれど、考えちゃうんだよなあ。

 

もしかすると、ちゃんと友達を作れる人ってお互いの供給がアンバランスになることがないんじゃないかと思った。お互いにちゃんと思い合える相手と付き合っているから、自分が供給したことに対する供給に不満を持たないのかもしれない。

要は、私がその相手から「供給に値する」と思われるような人間と思われていないってことなのかもしれないって話ね。

 

だいぶ前に増田か何かで「知り合いの誕生日には何か安いものでいいからプレゼントをしたり、プレゼントを考える時間がなさそうなら最低限おめでとうメールを送る。こういう細かいことをちゃんとやっていたら、人が人を呼んで人脈は自ずと形成されるよ」というような主旨のエントリがホッテントリに上がったのだけれど、それを読んだとき「イヤイヤ、それ全部やってるから私!」(これ以外にも、もう覚えてないけれどいくつかポイントが挙がっていた)と思って悲しくなったんだよね。毎年おめでとうとメールを送っていて、メールをすれば「ありがとう!」と返信も貰えるんだけど、そういう接し方をしている相手の中で私の誕生日にメールくれる人はいなかった…。それにふと気付いたときのあまりの虚無感に「ハハッ」って笑っちゃったんだよねえ。

 

たとえば、CDが売れなくなったってここ数年ずっと音楽業界が言ってるじゃない。「違法ダウンロードのせいだから、アップロードとダウンロードを取り締まればCDは売れる!」って音楽業界は期待していたみたいだけど、蓋を開けたら取り締まりが始まる前でも後でも大して変化ないっていうことがあったでしょ。

つまり、音楽に1,000円とか3,000円支払うだけの価値がないって判断されたということだと思うのね。私はCD買う方なんだけれど、買わない人って本当に買わないでしょ。しかも買わない人は少なくない。

私は好きな音楽には1,000円3,000円支払う価値があると思っているから買うけれど、買わない人に話を聞くと大概「高いよね」と言う。イコールその人にとってその金額を支払う価値はないってこと。

(勿論ここには正規にお金払ってダウンロードをしている人もいるんだろうけれど、それも言及し始めると混乱するのでここではCDだけの話をする)

それと一緒で、私の供給にはメール一本の返信もする価値はないって思われてるってことなんだなーと思ったんだ。メールじゃなくてもいい、FBでもTwitterでも、媒体はなんでも構わないんだ。けれど。

存在意義がどうとかそういう話ではなくて、単にその人にとってはそこまで大事な相手ではない、イコールタダの知り合いなんだなあと。

 

そうして私はおめでとうメールを送るのも、プレゼントを贈るのもやめにしたんだ。

今おめでとうメールを送るのは身内くらい。

それでも身内からだって誕生日におめでとうメールすら来ないこともある。

 

過剰に期待しているわけじゃないんだ。ただおめでとうくらいは言って欲しいよねって思ってるだけなんだけど、それすら叶わないってどんな人間だよ、と自分でも思ってしまう。

性格が悪いのだろうかねえ?好かれてないんだろうかねえ?どうでもいい相手なのかねえ?(今のところこれが最有力)なんだかもうよくわからないや。

 

虚無感に減らした手数 冬の風 あっても減っても寒さに凍える

 

こういう内容を書くと語弊がありそうなので一応断っておくと、別に私は誕生日にメールし合うだけの知り合いが欲しいわけではなくて、コミュニケーションの一環としてそういうのもあるよねと思っているだけです。誕生日メールやそのほかのメール、電話をかけたり貰ったりする中でどんどん仲良くなっていって、色んな話のできる友達が欲しいなあともうだいぶ長い間思っているという話。